テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

山の神祭り ~祭りと暮らす山里~

番組ID
210545
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2015年05月29日(金)15:50~16:45
時間(分)
49
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
山口放送(KRY)
製作者
山口放送(KRY)
制作社
山口放送(KRY)
出演者
ナレーター:竹重雅則
スタッフ
カメラ:山本宏幸、カメラ:山本透、カメラ:都濃政也、音声:兼弘文生、音声:金子麻史、音声:河村慶之、音声:糸賀孝雄、音声:國澤康次、技術:善甫義隆、技術:藤村毅、技術:金本伸一、技術:林英樹、技術:綿野光士、技術:池田茂喜、編集:本村治、美術:吉村亮二、美術:花崎美香、音響効果:河口司、取材:木村仁彦、取材:高木憲一郎、取材:田村康夫、ディレクター:白石則明、プロデューサー:渡部雅史
概要
山口県岩国市由宇町清水地区は標高280mの山あいに12世帯19人が暮らす小さな集落。先祖代々、山に点在する藪神様をお祀りし、古くから「祭り」を絆に暮らしてきた。中でも800年以上守り伝えられてきた県指定無形民俗文化財「山の神祭り」は、5年に1度、鎮守の森に祖霊を迎える祭りで、集落をあげて行われる。しかし現在は「祭り」だけでなく、集落そのものが存亡の危機にある。住民の大半が70歳以上の高齢者で、もう何年も子どもの声を聞くことはない。近い将来に消滅するかもしれない「限界集落」なのだ。「派手でなくていい。祭りを続けたい」…誰よりも祭りを愛する当屋父子と、清水地区の住民たちに番組は密着した。つかの間の賑わいを取り戻す「祭り」は、住民の心をひとつにする。「祭り」は集落の“絆”であり“希望の光”。限界集落の強い思いと「残したい祭りの魂(こころ)」を伝える。
受賞歴
日本民間放送連盟賞(第63回エンターテインメント番組優秀)
放送ライブラリー以外で視聴可能な施設

同じ年代の公開番組

イチスペ! 島が学校 ~最後尾から最先端へ~

島根県から北へ60キロ離れた離島、隠岐諸島。その中の一つ、海士町は、人口およそ2400人で、主な産業は畜産業と漁業の小さな島だ。かつては人口減少に苦しみ、日本で最も貧しい自治体の1つだったが、町の生き残りをかけて、定住促進、雇用創出など様々な取り組みを行ってきた。その甲斐あって、今や島根県で唯一、人口が増えた町として全国から注目されている。◆その活力の一つが島で唯一の高校、隠岐島前高校の「魅力化プロジェクト」。島外からの生徒を増やすため、夢について考える授業や、地域の問題点を探る授業など、独自の取り組みを実施した。そしてこの高校の大きな特徴は、生徒の半数が島外出身、いわゆる「島留学」していることだ。地元の生徒と島外から来た生徒、文化の違いで、時には衝突することもある。しかし、違う地区の文化を知ることで視野が広がり、生徒の成長にも繋がっていく。◆東京出身の原恵利華さんは、島留学した生徒の一人。東京の暮らしとは一変、カラオケ、コンビニなど、身近にあった当たり前のものはない。しかし島の人との交流や島での生活が充実しているため、不自由はないと話す。高校3年生の原さんが、この島で何を学び、何を感じたのか。原さんがこの島で見てきたことから、今、多くの地方が抱える問題解決の糸口を探った。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
日本のチカラ 町を捨てよ海に出よう! さいはての漁師移住プロジェクト

利尻昆布で名高い北海道の利尻島。水貝和広さんは、神戸からやってきた元プロボクサーという異色の経歴をもつ「漁業研修生」だ。中学時代からの友人・中辻さんの勧めで、ボクシングを引退した去年、利尻島に移住した。神戸の水産会社に勤めていた中辻さんは、買い付けで利尻に通う中で利尻昆布の後継者不足を知り6年前昆布漁師に転職した。水貝さんを漁師の道に誘った理由を尋ねると、「養殖の仕事は膨大な作業工程をきっちりと真面目にこなせる人間なら、移住者でも、ベテランと大差ない水揚げが得られる」「ボクシングの辛い練習に耐えた水貝ならできると思った」と答えた。水貝さんは、行政と水産業界が後継者育成のため設立した、3年間の研修制度に支えられて漁師修行に精を出す。7月、養殖昆布の収穫が始まった。親方や中辻さんに厳しい指導を受けながら、船の上で水貝さんの奮闘は続く。大きな失敗にひどく落ち込むも「やめるという選択肢はない」と熱く語る水貝さん。過疎と高齢化に悩む漁村を都会の若者が支える、北の離島に移住した新米漁師に密着する。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
KNBふるさとスペシャル 沈黙の70年 富山大空襲と孤児たちの戦後

「戦争孤児」。戦争が理由で孤児になった20歳未満の人の総称だ。昭和23年2月、当時の厚生省が実施した「全国孤児一斉調査」。その結果、第二次世界大戦による戦争孤児は12万3千人余り、富山県内にも427人いることがわかった。しかし、その事実が明らかにされたのは30年余り後のことだった。◆昭和20年8月2日未明の富山大空襲。米軍のB29が富山市に落とした焼夷弾は56万発以上。死者は約3千人(推計)。米軍が爆撃目標にした市街地破壊率は99.5%と、空襲に遭った日本の都市の中では最も大きな被害を受け、多くの子どもたちが孤児となった。長野県で暮らしている藻谷研介さんもその1人だ。焼かれた富山市の実家跡地や一晩身を置いた松川を息子らとともに訪ね、記憶を語り継いだ。藻谷さんは戦後、縁戚や姉の嫁ぎ先などを転々とし山口県へ。「振り返れば家族再建の70年だった」と振り返る。◆富山市郊外の児童養護施設「ルンビニ園」。昭和22年、戦争孤児を寺に保護したのがその始まりだ。卒園生の坂口勝久さん(北海道在住)は小田原空襲の戦争孤児。ルンビニ園の理事長・恒田仙英さんに会うため、富山市を訪れた。目的は、同窓会作りだ。同じく孤児で、園時代の旧友・鮫島一さんと共に、県内在住の卒園生を訪ねるが…。◆焼け跡にたたずむ子どもたち。そんな孤児たちに国はどのような救いの手を差し伸べてきたのか。戦後補償に詳しい立教大学の前田一男教授は「敗戦で国家の戦争は終わったが、孤児が生きるための戦いはそこから始まった」と語る。戦争孤児の戦後70年の人生を見つめることで、日本が築き守ってきた「平和」を改めて考える。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.