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テレビ番組

NNNドキュメント’14 反骨のドキュメンタリスト 大島渚「忘れられた皇軍」という衝撃

番組ID
208716
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放送日時
2014年01月13日(月)00:50~01:45
時間(分)
46
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
日本テレビ放送網(NTV)
製作者
日本テレビ放送網(NTV)
制作社
日本テレビ放送網(NTV)
出演者
スタッフ
撮影:岩間俊、撮影:栗村紀之、音声:野上祐介、編集:佐藤幸一、EED:福田豊、ミキサー:山口誠、音響効果:番匠祐司、協力:濱崎好治、編成:末延靖章、デスク:金森恵美子、広報:明比雪、広報:戸澤慧美、企画:佐々木直子、企画:小倉徹、ディレクター:鈴木あづさ、プロデューサー:加藤就一、プロデューサー:日笠昭彦、チーフプロデューサー:谷原和憲
概要
2013年1月、大島渚監督が逝った。「大島渚は不器用で、反国家むきだしにして体を張って闘っていた」そんな大島の魂がこめられたドキュメンタリーが「忘れられた皇軍」(日本テレビ・1963年放送)だ。日本軍属として戦傷を負い、戦後、韓国籍となった旧日本軍の兵士たち。片腕と両眼を失った白衣の傷痍軍人が何の補償も受けられぬまま、街頭で募金を集める…大島は一体何を訴えようとしたのか。当時の制作スタッフや妻・小山明子の証言からひもとき、テレビと映画2つのフィールドで活躍する是枝裕和監督や、同時代を生きたジャーナリスト田原総一朗と共に考える。50年を経た今、大島の映像は少しも古びることなく、見る者を激しく揺さぶる。テレビを考え抜いた映画監督・大島渚の遺言とは?
受賞歴
ギャラクシー賞(第51回奨励賞)

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NNNドキュメント’14 津軽のミサオさん 笹餅、ときどき五・七・五

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山田太一ドラマスペシャル 時は立ちどまらない

あの日から3年。山田太一が「東日本大震災」をテーマに描く、絶望と希望の物語。同じ被災地に生きながら、運命を分けた二つの家族。それぞれの葛藤と人間の本音を、生き生き細やかに描き出す。テレビ朝日開局55周年記念。◆東北の海沿いの街で生まれ育った西郷良介(中井貴一)は、地元の信用金庫の支店長となり、妻の麻子(樋口可南子)、母・奈美(吉行和子)、市役所に勤務するひとり娘・千晶(黒木メイサ)と共に、海を見下ろす小高い丘にささやかな家を建て、平凡な生活を送っていた。ある休日、良介たちは千晶の恋人・浜口修一(渡辺大)の自宅に、初めての両家顔合わせに向かった。浜口家は代々漁師で、修一の父・克己(柳葉敏郎)、母・正代(岸本加世子)、祖父・吉也(橋爪功)、祖母・いく(倍賞美津子)、弟の光彦(神木隆之介)の6人家族。千晶は将来、政界で活躍する夢を抱いており、良介と麻子は娘が漁師の家に嫁ぐことに複雑な想いを抱いていたが、それはまた浜口家の面々も同じだった。だが、2人の結婚への意思は固く、両家はそれぞれ子どもたちの結婚を認めることに。そしてこの宴席で、良介と克己は互いに中学の同級生だったことに気づく。しかし、それから5日後の2011年3月11日、東日本を襲った地震と津波が、2つの家族の運命を大きく変えてしまう。


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マイボイス2 諦めない ALS患者の700日

埼玉県で暮らす須加原玲さんは2011年4月、全身の筋肉が衰えてしまう難病「筋委縮性側索硬化症(ALS)」と診断された。人工呼吸器を装着すれば話すこともできなくなる。長崎県に住むプログラマー吉村隆樹さんが開発した、無料の音声再生ソフト「マイボイス」と出会った玲さんは、病気の進行で声が出なくなる前に「自分の声」で、妻の名前から日常のなにげない言葉まで、作業療法士や家族の協力を受けながら声を録音し始める。◆病気の進行で2012年の秋から入退院を繰り返した玲さんは、翌年の春に人工呼吸器を付ける手術を決断し、「声」を失った。手術後、玲さんは動く頭を使いパソコンを操作して子供たちに夢を語る。「マイボイス」で再生される声は、まだ滑らかとはいかないが、受け取る家族は「本人」そのものと感じている。◆難病患者の声を残す取り組みは始まったばかり。「マイボイス」と出会い、生きると決めた玲さんと、妻のゆかりさんの日常を通して、患者が直面する介護の問題、支援制度など、ALS患者を取り巻く現実を考える。NCC長崎文化放送開局25周年特別番組。


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どさんこドキュメント2014 みる・みる・みらいスペシャル 笑顔で生きよう ことばで寄り添う「赤ひげ先生」

人口2千7百人の北海道・南富良野町。幾寅という小さな地区で10年前に開業した「けん三のことば館クリニック」が舞台。内科・小児科・心療内科の医師・下田憲さん(67歳)は、地域医療を支えてきた功績が認められ、2014年春「全国赤ひげ大賞」を受賞した。その診療方法は、患者に時間をかけて向き合い、寄り添う言葉をかけ、ひとりの人間として関わっていくことに徹している。◆1日50人にも及ぶ予約患者の多くは、すがる思いで下田さんのもとを訪ね、心と体をゆだねている。病院での診察だけでなく、地域の福祉施設への往診も行い、過疎地域の乏しい医療を日々支え続けている。その思いの原点には、医師に成り立ての頃の“後悔”があった。◆番組では、下田さんの日々の診療だけでなく、患者の日常生活、研修に訪れた若い医師なども取材。この地域だけでなく、北海道が抱えるであろう医療の現状を描き、北海道の未来に向けて何が必要かを問いかける。STV・ニュース情報番組「どさんこワイド179」の特別編。


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ミヤギテレビ報道特別番組 いつも心に青空を 我ら社会人応援団

宮城県仙台市に住む平了さん36歳。平さんは東日本大震災で親友を亡くしたのをきっかけに、津波被害に遭った家のガレキ撤去を行うボランティアを始めた。それから一年後、ある思いから平さんは活動を中断する。「ガレキはなくなっても被災者の心の不安は拭えない。もっと自分にできることはないのか?」平さんは思いを巡らせた。そこで思い出したのが「応援」だった。平さんは高校時代、80年の伝統がある応援団の団長を務めた経験がある。◆応援でたくさんの人を元気にできるのではないか…。平さんは「青空応援団」という名の社会人応援団を結成した。青空応援団には、学生時代に応援の経験がある者に加え、津波で甚大な被害を受けた被災地出身の団員、アメリカで心臓の移植手術を受けた息子を持ち、支援してくれた人たちへの恩返しにと入団した団員などがいる。応援団は“応援してほしい”という依頼者の元へ駆け付け、無償でエールを送る。「俺たちのエールが、心に掛かった雨雲を吹き飛ばしてくれる」と願いを込めて。「創る・あした~伝えていきます~ミヤテレ震災復興プロジェクト」。


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映像’14 都会っ子 山に生きる 山村留学の春夏秋冬

兵庫県神河町は人口およそ1万2千人のうち、65歳以上の高齢者が3割を占める。年々子どもたちの数が減る中、7年前から廃校になった小学校を生活の場として再活用し、期間1年の小学生の山村留学をはじめた。町には4つの小学校があるが、山間部で唯一の越知谷小学校は児童が減少し、都会から来た留学生9人を含めても46人。山村留学の子どもたちは毎月20日間を廃校を改造して作った場所で共同生活し、残りの10日間は近くの農家でホームステイする。◆大阪市から山村留学に参加した6年生の男子は、兄弟の末っ子。家では甘え放題だったが、学校の授業についていけなくなり、友人にからかわれた事が原因で2年近く自宅に引きこもりになった。運動不足で体力は低下し、親も本人も自分を変えたいと神河町に来た。山村留学では学校の行事は勿論の事、コメ作りなど農作業や地域のお祭りを通して地域と触れ合う。夏、冬には周囲の峰々を縦走する厳しい訓練も待ち受けている。◆テレビもゲームもおやつもなし。塾もなければ引きこもれる部屋もなし。番組では、都会の子どもたちが山村留学を経験した1年間に密着。それぞれに悩みや問題を抱えてやってきた山里で、初めて親と離れて暮らす生活や地域の人たちとの触れ合いを描く。子どもたちが自分と向き合い、新たな経験を積むなどして、どのように成長するのかを見つめ、学習の問題やイジメなどの人間関係、経済状況など、いま子どもたちを取り巻く様々な問題の解決の糸口を探る。


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スクープアップやまぐちスペシャル 僕たちの舞台、私たちの勝間

瀬戸内海を望む山口県防府市。勝間小学校では地区に残る言い伝え「勝間の浦人」を大切にしており、毎年5年生全員が劇で演じることが伝統となっている。秋になると稽古を始め、学習発表会の場で、他学年生や保護者・地域の人たちを前に上演する。この舞台を経験することで、6年生になった時に下級生たちのお手本となる心構えが備わるという。◆勝間地区の近くには、日本三天神に数えられる防府天満宮がある。「勝間の浦人」は、大宰府へ流罪となった菅原道真が現在の防府市勝間に滞在した時、海辺で暮らす人々から温かいもてなしを受けて感激したという伝説をもとにした物語。勝間地区に残る言い伝えと、防府天満宮にまつわる歴史を子どもたちに伝えるためにも、劇の上演は欠かせないものになっている。◆劇の練習から舞台の本番を通して、子どもたちの自主性を高めようと考える先生たち。練習も出来るだけ口を出さずに見守る。その思いに応えようと子どもたちも努力する。番組では2年間の取材を通し、子どもたちの成長ぶり、先生たちの奮闘ぶりを描く。勝間小の子どもたちはふるさとの歴史と伝統を心に刻み、巣立っていく。


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