テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

NNNドキュメント’13 3・11大震災シリーズ 消せない放射能 ~65年後の警鐘~

番組ID
208203
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2013年11月04日(月)00:50~01:20
時間(分)
25
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
札幌テレビ放送(STV)
製作者
札幌テレビ放送(STV)
制作社
札幌テレビ放送(STV)
出演者
ナレーター:石原良
スタッフ
題字:柿沼康二、撮影:石田雅年、翻訳:東郷祐三子、編集:佐々木博、AD:櫻田麻依子、ミキサー:浜口崇、音響効果:番匠祐司、調査:山内康次、ディレクター:片野弘一、プロデューサー:佐々木律
概要
福島第一原発事故の原因究明が一向に進まない中、早くも再稼働の動きが加速しようとしている。放射能による被害は、実態が明らかになるまでに長い時間を必要とするが、その一例が北の大地にある。ロシアでは、半世紀以上前に放射能災害が起きていた。高レベル放射性廃棄物を投棄した川の周辺では、手足の無い子供、膨れ上がった頭部、巨大なコブ…、悪夢が世代を超えて猛威を振るっている。政府は汚染された川沿いの村を閉鎖、古い建物を取り壊して地中に埋め、放射能を封じ込めようとした。しかしその努力を嘲笑うかのように、今もあちらこちらで強い放射線が測定される。収束への道程は見えていない。原発回帰の状況下、放射能災害の現実を見つめる。

同じ年代の公開番組

ダイドードリンコスペシャル 神が降り立つ地に生きる 高浜七年祭

福井県高浜町。数えで7年に一度、多くの奉納が7日間にわたって町の各所で行われる「高浜七年祭」。その年は町全体が活気に満ち溢れ、独特の雰囲気を帯びる。佐伎治(さきち)神社の式年大祭で、県の指定無形民俗文化財になっている祭りである。◆その歴史は古く、440年以上前から続いているといわれている。3基の神輿が巡行し、太刀振や大太鼓などの多彩な芸能が奉納され、昔と変わらず氏子たちによって連錦と受け継がれている。「毎年開催される祭りではなく、数えで七年に一度の祭りだからこそ、懸ける想いが違う」と町衆は声をそろえて言う。◆そんな伝統の祭りをこよなく愛し、生活の一部となっている家族がいる。1月頃から始まった練習による祭り囃子は、徐々に町を盛り上げ、人々の祭魂に火をつけていく。地区には昔から連綿と受け継がれる芸能があり、それぞれに自信と誇りを持っている。番組では、伝統ある祭りの歴史と、世代を超えて祭りに携わる人々を追う。そして過去・現在・未来へと続く「祭りへの想い」、また祭りが織りなす「家族の絆」を描く。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
シリーズ輝石の詩 誰のものでもない ~日本最古の近代的慈善団体“感恩講”の足跡~

米国の外交評論誌「フォーリン・アフェアーズ」に、ジョンズ・ホプキンス大学のレスター・M・サラモン教授が寄せた「福祉国家の衰退と非営利団体の台頭」という論文の中には、「日本においても慈善活動は(中略)感恩講という近代的慈善組織が、すでに1829年に設立されている。これは米国で慈善活動が始まるほぼ一世紀前の話である」という、注目すべき一文がある。◆米国でカーネギーやロックフェラーなどが財団を設立し、慈善活動を始めたのが1911年。その80年以上も前、まだ江戸時代の日本・秋田で近代的な慈善活動が行われていたことは、サラモン教授にとって大きな驚きだったようだ。◆創始者・那波三郎右衛門祐生は、どのような経緯で社会福祉NGOの原点ともいえる“感恩講”を立ち上げたのか。番組では、研究者や関係者のインタビューをはじめ、平福百穂が描いた「感恩講図巻」や、明治に発行された「感恩講誌」などを紐解きながら、感恩講の現在に至るまでの軌跡を紹介していく。シリーズ輝石の詩8。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
「緑の牢獄」その記憶と記録 日本最南端の炭坑から

日本最南端の炭鉱があった沖縄・西表島。明治19年より本格的な採炭がはじまった。福岡県出身の村田満が西表炭鉱にやってきたのは昭和11年。満州事変が勃発し、石炭需要が急増した時代だった。当時1400人もの炭坑夫が全国から集まり、年間十数万トンの石炭を産出していた。村田が故郷に戻ったのは昭和45年、実に34年ぶりのことだった。一体何があったのか。◆村田は知人から「今よりいい条件の仕事だから」と聞き、西表島にやってきた。しかしそこはまるで刑務所のように鉄格子が張られた監獄のような場所だった。過酷な労働とリンチ…。マラリアが流行し、薬もなく、3日もすると亡くなる者が多数いた。◆固く口を閉ざしていた西表炭鉱の関係者・38人の証言を、元新聞記者・三木健氏が聞き書きし、本にまとめ出版して世間に問いかけた。なぜ、このような炭坑労働が強いられたのか…。◆沖縄本島からも遠く離れた西表島。過酷な労働から逃げても、外は亜熱帯のジャングル。それが「緑の牢獄」ともいわれる西表炭鉱の現実だったのである。日本の近代化の歴史と、それを支えたエネルギー政策の原点ともいえる炭鉱。その狭間から聞こえた名もない炭坑夫の声。故郷への帰還が叶わない人々の記憶の形。刻まれた重い記憶は、記録として私たちに問いかける。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
農家民宿奮闘記 ~ダム奥のムラを見つめて~

山形県の南西部、飯豊連峰の山懐に抱かれた飯豊町中津川地区。40年前、町中心部と集落を結ぶ中間地点に大規模なダムが建設されたこともあって、この50年間で人口は10分の1、約300人にまで減少した。地区のシンボル・中津川小中学校も2013年3月で閉校した。しかし、5年前から始めた農家民宿が地域の元気の源になっている。年間約1000人が農家民宿に宿泊、そのうち100人が台湾からの観光ツアー客だ。◆農家民宿「あえる村」を営む宮さん夫婦は、農業とヤマメの養殖を生業としているが、ヤマメをお客さんに提供したいと民宿を始めた。台湾の人はどんな料理を好むのか。料理が得意な妻・かよ子さんはいつもそればかり気にしている。農家民宿「いからし本家」を営む五十嵐さん夫婦。妻・あいさんは「民宿のおかあさん百選」にも選ばれた元気なおかあさん。2人暮らしのため、お客さんが来ると賑やかで楽しいと言うが、70代という年齢のこともあり、民宿をいつまで続けられるか心配している。◆2013年春、農家民宿のみんなが集まり、台湾へ念願の視察旅行に出掛けた。生活習慣、料理、文化を勉強するため、そして何より台湾の話題でお客さんたちとの会話を盛り上げたいとの理由からだった。そんな中、中津川に移り住んだ若い夫婦が、農家民宿を始めたいと「あえる村」に手伝いにきた。番組では、地域の生き残りをかけて奮闘する農家民宿の半年間を見つめる。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.