テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

神の島から紡ぐ ~久高島留学センターの1年~

番組ID
207688
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2012年06月27日(水)19:00~19:53
時間(分)
48
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
琉球放送(RBC)
製作者
琉球放送(RBC)
制作社
琉球放送(RBC)
出演者
ナレーション:タグチマミ
スタッフ
題字:名嘉一、テロップ:與那嶺千枝、音声:新島翔、MA:茶畑三男、MA:柳井陽子、撮影:仲宗根隼人、編集:仲宗根隼人、ディレクター:野沢周平、プロデューサー:砂川裕
概要
沖縄本島南部から東に5キロ、人口200人余りが暮らす久高島。琉球開びゃくの神が降り立った場所と伝えられ“神の島”と呼ばれている。ここには「留学センター」があり、島の外から来た子供たちが親元を離れて暮らし、島の学校に通っている。彼らは共同生活を送る中で、仲間や島の人々と関わって大きく成長していく。神の島で育まれる日々、久高島留学センターの1年を追う。

同じ年代の公開番組

どーんと鹿児島 歓声をつかめ! 鹿実新体操部の挑戦

女子の華やかな演技に対して、アクロバティックな技が持ち味の男子新体操。実力校が競う高校生の大会で、唯一異色の演技を見せるのが鹿児島実業高校の男子新体操部だ。話題のヒット曲やアニメソングにのせて繰り出すコミカルな動き。他のチームにないアイデアがあふれる演技は、常に会場を沸かせている。◆「楽しい」「面白い」そして「笑える」ことがモットーのユニーク演技。しかしその裏には、鹿実新体操部が直面してきた厳しい現実があった。長年の部員不足と体操経験者の少なさ、大会に出る度に味わう実力校との力の差。ピンチともいえる状況の中、2001年に就任した樋口靖久監督が目指したのは「自分達にしかできない演技」。たどり着いたのが「観る人を楽しませる新体操」だった。◆日々の練習の中で部員全員がアイデアを出し合い、「笑い」と「面白さ」を演技に盛り込む。難度の高い技は無理でも、それに代わる「魅せる演技」を作り上げる。2011年、4年ぶりのインターハイ出場をかけ、鹿実男子新体操部は、予選に挑んだ。ピンチからの挑戦…彼らの目指す「新たな新体操」の真髄を追う。


cinematic_blurドキュメンタリーdirections_bikeスポーツtvテレビ番組
ぐっさん・ガレッジ・ベッキー・唯が行く! にじいろ人生拝見 ニッポンのじぃちゃんばぁちゃん

土曜朝の情報番組「にじいろジーン」の人気コーナー「じぃちゃん!ばぁちゃん!唯が行ぐがらな~♪」の特別編。過去に紹介したお年寄りたちをベッキー、山口智充、ガレッジセールが訪問し、一日手伝いをする。佐藤唯は日本一の長寿村を訪れる。スタジオゲストは天童よしみとはるな愛。◆ベッキーは前年の台風で大被害を受けつつも元気に頑張る和歌山県那智勝浦町で茶屋を営むばぁちゃんを訪問する。自宅を半分流されたのに「毎日こんなに幸せでいいのかしら」と笑うばぁちゃんに、スタジオもボロ泣き。ぐっさん(山口智充)が訪ねたのは高知県四万十市の川漁師のじぃちゃん。伝統漁法の“柴漬け漁”をたった一人で継承し、そのうえ趣味も多彩で「まさにスーパーじぃちゃん!」とぐっさん大絶賛。ガレッジセールは栃木県日光市の空師(そらし)のじぃちゃんに1日弟子入り。ロープ一本で地上60mに登ることもあるという壮絶なる仕事内容に2人は圧倒される。世界遺産を守る73歳の仕事人に「男が惚れる男です」とゴリも本気顔。そしてコーナーの本家・佐藤唯は、長寿村と呼ばれる沖縄県大宜味村へ。びっくりじぃちゃん&暴走ばぁちゃんから、長寿と元気の秘訣を教わる。はたして、にじいろメンバーがじいちゃん・ばあちゃんの人生を通じて感じたこととは…。


groups芸能・バラエティーcinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
ボーンマンの約束 ~遺骨収容人 70年目の真実~

その壮絶な生き様から、近年オーストラリアで共感を呼び、「ボーンマン」(遺骨収容人)として広く知られている元日本兵、西村幸吉さん92歳。西村さんは1941年、高知市に駐屯地を置く、日本陸軍直轄の特殊部隊「南海支隊」の一員として戦地ニューギニアに出兵。そこは日本兵10数万人が亡くなった苛酷な戦地だった。厳しい戦況に追い込まれる中、日本軍は撤退を余儀なくされる。怪我や飢え、マラリアなどで置き去りにされる多くの戦友たち。その戦友に西村さんは「必ず、お前たちの骨を拾い、日本に届ける」と約束した。◆復員後、西村さんは機械設計の会社で成功するものの、還暦を迎えた頃、戦友との約束を果たすためだけに社会的地位や幸せな家庭までも捨て、パプアニューギニアへ移住する。パプアニューギニアでの日本兵の遺骨のほとんどは戦地に放置されたままだった。ひどい場合は、欧米観光客の見世物にされていた。このままでは戦死した仲間が報われない…。西村さんは国に代わって戦友の遺骨を探し続け、これまでに少なくとも600体以上の遺骨を掘った。◆オーストラリアではいま、生涯をかけ戦友の遺骨を拾う西村さんの生き様を、高校生が授業で学んでいる。オーストラリア兵の視点だけでなく、日本兵の立場からも戦争の歴史を見つめ、同じ過ちを繰り返さないようにという考えからだ。高校生たちは、個人で遺骨収集を行う西村さんの姿に驚き、感銘を受ける。◆2011年7月、西村さんは恐らく最後となるだろうパプアニューギニアの慰霊に遺族らと訪れた。戦友との約束にけじめをつけるため、また数少なくなった戦争体験者として戦争の事実を語り伝えたいと考えたからだった。西村さんがなぜ、戦友との約束を守ろうとしたのか。彼にとって「約束」とは何か…。そこには70年目にして明らかになった、彼と戦友との命をかけた重い真実があった。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
NNNドキュメント’12 3・11大震災シリーズ26 生かされた命 ~阪神・淡路から東日本へ~

2011年3月11日。未曾有の大震災。神戸にいた黒田裕子さんは、テレビの映像を見てすぐに現地へと向かった。自分に出来ることは被災した人を支えること。その思いは生かされた被災者の一人として、決して変わらぬ強い信念だった。◆阪神大震災当時、黒田さんは被災地・神戸の仮設住宅で「黄色いハンカチ活動」を提唱した。「きょう一日元気だったら黄色いハンカチを玄関に掲げる」…避難所から仮設住宅に移り住んだ被災者が孤独死していく現状を何とかしたいと始めたこの取り組みは、分断されたコミュニティの架け橋となり、多くの高齢者の命を救うことにつながった。◆それから17年。東日本大震災の被災地で目の当たりにしたものは、阪神の時と全く同じ課題であった。避難所での生活を終え仮設住宅へと入居する過程で地域が分断され、一人暮らしの高齢者が、孤独死の危険に直面しているのだ。◆同じ過ちを繰り返してはならない。黒田さんは毎週神戸から宮城に通い、ほかのボランティアのメンバーとともに被災者を見守り続けている。「これからどんなことが起こり得るか、だから何をしないといけないか、そういうことが予測できるので関わりを持たせてもらいたいんです」…彼女が見据えるのは、いま被災者が直面する問題だけでなく、長く険しいこれからの道程だ。「それでもなお、命のある限り、自分自身を大事にしてほしい」そう語る彼女の温かな眼差しが、今日も被災者に注がれている。


cinematic_blurドキュメンタリーondemand_video報道・時事tvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.