テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

SBCスペシャル LOTTAPACE(ロッタパーチェ) ~コソボ・哀しみと祈りのハーモニー~

番組ID
205461
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2010年08月18日(水)19:00~19:55
時間(分)
46
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
music_note
音楽
放送局
信越放送(SBC)
製作者
信越放送(SBC)
制作社
信越放送(SBC)、映像技術、コンテンツビジョン
出演者
柳澤寿男、ナレーション:久保田祥江
スタッフ
撮影:原隆、撮影:岩田光至、撮影:小島匡、撮影:滝沢慶二、撮影:坂間和弘、撮影:小池宗久、音声:宮澤拓朗、音声:茂木裕光、音声:森田貴雄、TD:高野雄一、VE:飯沢崇、編集:和田秀一、CG:佐原浩平、MA:宮澤拓朗、MA:塚田敏康、撮影:手塚孝典、構成:手塚孝典、プロデューサー:田中哲郎
概要
バルカン半島の旧ユーゴスラビアに位置するコソボ共和国。2年前、セルビアからの独立を宣言した。この国のオーケストラを指揮する日本人がいる。長野県下諏訪町出身の指揮者・柳澤寿男さん。コソボでの音楽活動は4年目を迎える。◆2010年7月、柳澤さんはコソボ・フィルハーモニーと来日し、岡谷市などでコンサートを開いた。今回、初めて観客の前で演奏された曲がある。「LATTAPACE(ロッタパーチェ)」。“戦争と平和”をテーマにしたもので、コソボの作曲家によってつくられた曲だ。◆コソボでは、1990年代の終わり、独立を求めるアルバニア人とセルビア軍との間で激しい戦闘が続き、1万人を越える犠牲者がでたとみられている。また、数十万人とも言われる人々が国を追われ難民としての生活を余儀なくされた。曲の背景には、当時の記憶がある。◆ロッタパーチェに込められた思いとは何か。コソボでタクトを振り続ける日本人指揮者・柳澤寿男さんと、戦争の傷跡を抱えながら音楽を糧に生きようとする音楽家たちの記録。

同じ年代の公開番組

寝たきりアパート さまよう終の棲家

岐阜県内で数年前から医療や福祉に携わる関係者の間で、その存在を巡り様々な意見が交わされてきた「寝たきりの高齢者専用アパート」。◆「口から食事をとることのできない寝たきりのお年寄り」だけが入居できるこのアパートに対して「多くの疑問点がある」と指摘する後見人NPOの山田隆司さん。山田さんが後見人として関わることになった79歳の女性入居者は「寝たきりのまま」チューブで栄養を補給されていたが、山田さんがアパートから“救出”し、病院でリハビリを受けさせた結果、口から食事が取れるようになり、さらに車椅子に乗って移動もできるまでに回復したのだ。◆また、この女性に掛かった費用を検証すると、明らかに不自然な「医療保険」の“活用”が浮かび上がってきた。寝たきりアパートの運営に多額の“公金”が巧妙に使われている疑惑が見えてきた。◆その一方で、「医療費抑制、医療制度改革」のあおりを受け、病院や老人介護施設などから締め出され、在宅でも家族が面倒を見られない「医療行為を必要とする高齢者」が行き場を失ってしまうケースが増えている。そうした高齢者を抱えた家族にとっては「寝たきりのお年寄り」を引き受けてくれるアパートの存在は“救世主”に思えるという。◆こうした施設は国の高齢者政策が後手に回っている現状に付け込んだ“仇花”のような存在だと専門家は指摘する。また長妻厚生労働大臣は取材に対して「施設に問題点があるとすれば取り締まる。また公金が医療費抑制の陰で無駄に支出されているなら見直さなければならない」と明言した。寝たきりアパートの経営者は「自分たちはあくまでも困っている人達のニーズに応えてビジネスを展開しているだけだ」と語った。◆“高齢社会ニッポン”の歪みに存在する“寝たきりアパート”。現在もそこで180人のお年寄りが暮らしている。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
ザ・ドキュメンタリー 人生の教室 ~カンボジア日本人教師~

カンボジアで日本語を教えている檜尾睦先生は70歳。日本語教師になったきっかけは、岡山の公立中学の校長時代にネパールの学校を訪問したこと。貧しい中、懸命に勉強する子どもたちの姿に心を打たれた。彼女は日本語教師の資格を取り、定年後の2000年にNGOの募集記事を見て迷わず応募した。無給・生活費持ち出しを承知の上でのことだった。◆初めて踏み入れた教室には、27人の子どもた待っていた。クメール語の分からない教師と、日本語・英語の分からない子ども。先生はかまわず日本語で日本語を教えた。あいさつのできない子、宿題をしてこなかった子には厳しくしかった。その一方で欠席した子どもを気にし、授業の合い間を縫っては子どもの家を訪れ、子どもの様子を聞き、両親に日本語を学ぶ意味を説き続けた。◆カンボジアで暮らして10年。日本語を身につけ、ホテルマンや観光ガイドなどとして自立する教え子も生まれ、先生の出身地・岡山では、教え子を留学生として受け入れてくれる高校も出来た。第二の人生の足跡を着実に残した彼女。「子どもを助けるつもりが、逆に助けられていた」と振り返る。◆最初の教え子たちが、彼女を悲しませ帰国させないよう、言葉の意味は分からなくても彼女の発音通りにオウム返しするよう、打ち合わせていたことを、彼女は後年知ったという。教師として子どもたちを育てる舞台を日本からカンボジアに移した今も、その笑顔はきらめき続けている。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
ザ・ノンフィクション 夜明けのラジオ

ラジオの深夜放送は、1960年代から若者の解放区として親しまれ、大勢のタレント、歌手、お笑い芸人がラジオ番組から羽ばたいていった。現在はNHKが「ラジオ深夜便」を連日夜の11時台から翌朝5時まで放送し、中高年を中心に推定で100万人の聴取者がいると言われている。人々がまだ深い眠りの中にいるころ、訳あって家族と離れて暮らす人、借金を返すために昼夜を問わず懸命に働く人、ベッドに寝たきりで病と闘う人、そんな人たちが、深夜のラジオから聞こえるDJの声と音楽に耳を傾け癒されている。◆文化放送「走れ歌謡曲」の金曜パーソナリティー・中尾美穂さんと、番組のリスナーで、曲のリクエストを送るトラック運転手の男性を取材。家族と離れて働く男性に、ラジオはほのかな希望を送り届ける。◆埼玉県狭山市にある24時間営業のコインランドリーを営む女性はNHK「ラジオ深夜便」を聞くのが日課。夜中の2時に、突然目を覚まし、息子が亡くなった場所に通う。一旦目が覚めるとなかなか寝付けないが、その孤独な時間を埋めてくれたのがラジオだった。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組