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テレビ番組

ドキュメント発見伝 同意なきレール

番組ID
201463
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放送日時
2008年03月08日(土)16:00~16:55
時間(分)
48
ジャンル
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ドキュメンタリー
放送局
サガテレビ(STS)
製作者
サガテレビ(STS)
制作社
サガテレビ(STS)、西日本放送(RNC)
出演者
ナレーター:得丸伸二
スタッフ
撮影:石隈晶彦、編集:徳渕正樹、整音:新甫宙、タイトル:蒲原貴子、ディレクター:峰松輝文、プロデューサー:武藤信也、プロデューサー:馬場明子
概要
華々しく開通する新幹線の影で、JRから分離され第三セクターになる在来路線がある。反対する市と説得する県、対立が長引けば地域が疲弊していく現実と向き合いながら、「地域の足の確保」と「国や県の支援」との間で揺れ続けた市長の決断を追う。◆佐賀県鹿島市には博多と長崎を結ぶJR長崎本線の特急停車駅があり、鉄路は通勤通学の足として地域には欠かせない交通手段だった。しかし、新幹線長崎ルートの建設に伴い、肥前鹿島駅を含むJR長崎本線の約60キロはJRが経営しないこととなった。鹿島市の桑原市長は「JRの経営から分離されればいずれは廃線につながり、地域は衰退する。第三セクターによる経営はこれまでうまくいったためしがない」と猛反発した。鹿島市などの反対で新幹線計画はストップ、それに対し佐賀県は新幹線推進の立場からアメとムチをちらつかせて反対各市の説得にかかった。

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