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テレビ番組

河童の大将一代記 ―大井川の川越しと牧ノ原開拓―

番組ID
012517
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放送日時
1984年06月30日(土)
時間(分)
48
ジャンル
school
教育・教養
放送局
テレビ静岡(SUT)
製作者
テレビ静岡(SUT)
制作社
テレビ静岡(SUT)
出演者
スタッフ
構成:須藤実、資料:山田健治、指導:渡辺隆馬、題字:青木幽渓、音楽:増田義孝、音楽:山崎正嗣、音楽:出木みゆき、音楽:竹内圭子、選曲:辻田昇司、協力:岩立柊堂、協力:佐塚栄三、協力:向坂達也、協力:仲田いを子、プロデューサー:水上元一郎、プロデューサー:内田検二、プロデューサー:田島良郎、編集:田島良郎、撮影:木内敏介、効果:望月渉、照明:宮下文三、進行:青木佳代子、演出:石井英斉
概要
明治維新後、大井川の川越え制度が廃止されることになり、身ひとつで暮らしてきた川越人夫たちは窮地に陥った。それら川越人夫を救済するため、自分の田地を売り払って金を調達して政府に直訴し、後に牧之原開墾に尽力した仲田源蔵の生き様を描く。◆仲田源蔵は、1842年(天保13)、遠州金谷宿(静岡県島田市)の醤油問屋に生まれた。身長180センチ、体重92キロの偉丈夫であったという。17歳のとき江戸の商家に奉公に出て、帰郷後家業の醤油屋を継いだ。維新後、大井川の川越え制度が廃止されることとなり、職を失う人夫たちに請われて彼らの総代となって民部省に救済を直訴した。このとき源蔵は29歳であった。これがきっかけとなって源蔵は、新設された大井川渡船の舟方手代に任じられ、さらに人夫達による牧之原開墾に尽力し、わが国有数のお茶の産地を形成する基礎を築いた。

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