テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

響け・復興のハーモニー!湯本高校吹奏楽部 ~吹奏楽の甲子園への挑戦~

番組ID
206387
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2011年11月19日(土)15:00~15:55
時間(分)
47
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
music_note
音楽
放送局
福島放送(KFB)
製作者
福島放送(KFB)
制作社
福島放送(KFB)
出演者
ナレーション:真地勇志
スタッフ
カメラ:今井由水、カメラ:佐藤俊哉、カメラ:佐藤晃一、カメラ:反町朋栄、カメラ:山川昭彦、カメラ:湯峯隆一、カメラ:橋本港、カメラ:齋藤興太、カメラ:滝沢純、音声:神尾裕美、編集:今井由水、CG:山崎菜穂子、ディレクター:内田智之、プロデューサー:宇野英人
概要
福島県立湯本高等学校は東北を代表する吹奏楽の名門校。吹奏楽の甲子園と言われる「全日本吹奏楽コンクール全国大会」に6年連続で出場し、輝かしい成績を残してきた。◆しかし、東日本大震災で学校が被災。夏のコンクール出場を目指す湯本高校吹奏楽部は、学校での練習が不可能となった。彼らは練習場を求めて小学校やカラオケハウスなどを転々とする。困難は続き、指導していた先生が県大会当日に異動となり、これまで部員たちを引っ張ってきた部長の腰の状態も悪化した。◆湯本高校吹奏楽部はいくつもの苦難を乗り越え、県大会から東北大会へと進んだ。そして見事全国大会出場を決める。東京での全国大会で、彼らの“湯高サウンド”は福島の元気を聴衆に届けた。

同じ年代の公開番組

MRO報道特別番組 伝えたい ~命をめぐる3つの物語~

2010年、乳がんの手術をした吉田喜美子さん(62歳)。進行する病と闘いながら、清掃会社の教育係をしている。抗がん剤の苦しみと痛みに耐えながらも、受講生の前では「いつも笑顔が大事」と話し続ける。吉田さんの笑顔は、人を明るくする太陽のようだ。◆2010年春、18歳で亡くなった白潟翔弥君。母・美枝子さんは、死にたいと思うほどの悲しみの中から、再起しようと絵本を描くことを決心した。絵本を作る中で、多くの人が息子を支えてくれていたことに気付く。絵本のタイトルは「お母さん ぼく星になったよ」。息子は星になったけれど、人々の心の中に生きている。出会いの中で元気を取り戻していく美恵子さんの姿を描く。◆2001年、脳幹出血で全身マヒになった宮田俊也さん(44歳)。一生寝たきりと言われていたが、今、車椅子に乗る練習をしている。きっかけは、わずかな指の動きで画面に言葉を表示できる意思伝達装置だった。2010年には友人の協力を得て、著書「月がきれいだと僕はいえるぞ」を上梓。全身麻痺の自分の思いを伝えることで、人としての生きる喜びを取り戻すことができた宮田さん。多くの人にそれを伝えていきたいと意欲に燃えている。◆三者ともに再生へのきっかけとなったのは「伝えたい」という思いだった。彼らの苦難と向き合う姿から、生きるヒントを伝える。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
SBCスペシャル 祖国に在りて ~中国帰国者の終わらない戦後~

2011年は満州事変から80年。1931年の満州事変は日本が戦争へ突き進む契機になった事件のひとつであり、その後に国策として進められた農業移民「満蒙開拓団」は大きな悲劇を生んだ。終戦の年、戦場と化した満州では逃避行と収容所生活のなか、多くの開拓民が命を落とした。そして中国人らに預けられ生き延びた中国残留孤児は長い間置き去りにされ、彼らが祖国の土を踏んだのは人生の半ばを過ぎてからだった。◆多くの中国帰国者が日本語を話せず、仕事もなく、孤独で貧しい暮らしを余儀なくされた。2002年から政府の謝罪や老後の補償などを求めて全国で裁判が起きた。長野県上田市に暮らす井澤紀代子さんも原告の一人だった。その後裁判は和解し、2008年から新たな支援制度がスタート、生活支援金などが支給されている。しかし、井澤さんは涙ながらに語る「生活のためにお金は必要だけど、それは一番大事なものではない」。◆祖国に見捨てられ、帰国後も尊厳を傷つけられ、社会の片隅で生きてきた。「日本に帰ってきて幸せだった」心からそう思える日は来るのか。体験者の高齢化とともに戦争が風化していく社会のなかで、終わらない戦後を生きる帰国者たちの苦悩を見つめる。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
もう一つの世界遺産 ~人口41人 茅葺屋根の村~

1995年、世界遺産に登録された富山県南砺市の相倉合掌造り集落。全国から訪れる観光客は、初めての人でも思わず「なつかしい」と口にする。しかし、この小さな世界遺産の村の本当の魅力は、滞在1時間の観光ツアーでは分からない。◆相倉合掌造り集落の特徴は、世界遺産の中ではめずらしく人々の生活の場であること。冬は積雪3メートルという厳しい山里の暮らし。村人たちは助け合いながら、かや葺き屋根を守ってきた。◆しかし、生活の場であるこの世界遺産の村は過疎の問題が深刻だ。世界遺産登録当時90人だった相倉集落の人口は、この15年の間で40人にまで減った。今年も3人のお年寄りが、都会の息子夫婦と暮らすため村を離れた。村人たちは村の将来に漠然とした不安を抱いている。そんな過疎が深刻な相倉に15年ぶりに赤ちゃんが生まれた。村の宝物になった赤ちゃん。集落のみんなでその成長を見守っている。◆世界遺産の相倉集落にあるものは、いま失われつつある“なつかしくて温かいふるさと”の姿だ。観光ツアーでは知ることができない、世界遺産の村に暮らす人々の日常生活。失われつつあるけれど守っていきたいもの、足元にあって気がつかない大切なものを番組では伝える。


cinematic_blurドキュメンタリーschool教育・教養tvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.