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テレビ番組

NNNドキュメント’11 3・11大震災シリーズ12 天国のママへ 届け、いのちの鼓動

番組ID
206358
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放送日時
2011年08月22日(月)00:50~01:20
時間(分)
25
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
ondemand_video
報道・時事
放送局
宮城テレビ放送(MMT・ミヤギテレビ)
製作者
宮城テレビ放送(MMT・ミヤギテレビ)
制作社
宮城テレビ放送(MMT・ミヤギテレビ)
出演者
ナレーター:杉山裕子
スタッフ
題字:柿沼康二、撮影:小向伸、撮影:佐藤真二、撮影:鎌田勝一郎、撮影:島香望、撮影:岡田俊輔、音声:高橋展之、編集:佐藤幸一、EED:宇田川健、ミキサー:駒路健一、音響効果:渡辺真衣、ディレクター:大和田雄起夫、プロデューサー:渡邊司
概要
2011年3月11日の東日本大震災で、大津波にのみ込まれた宮城県石巻市。宮城県内で死者・行方不明者が最も多い地域となった。その影響も受け、百年の歴史を誇る“石巻川開き祭り”は開催が危ぶまれた。◆「こんな時だからこそ、復興の一歩にしたい」、祭りのメインとなる花火の打ち上げを決めた男性がいた。新潟県長岡市からは希望の花火が届けられた。2004年の中越地震をきっかけに打ち上げられたフェニックスだ。石巻の復興を願い“不死鳥”が夜空に舞う。◆「天国のママに届くように」、懸命に太鼓をたたく小学生がいた。祭りでは、石巻日高見太鼓の演奏が津波の犠牲者を弔う。ガレキが被さった故郷で、それぞれの人々が胸に秘める思いを描く。
受賞歴
ギャラクシー賞(第49回報道活動部門選奨)

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オーストラリアの田舎町カウラに日本から一人の中学生が留学してきた。彼が大好きなのは野球だが、学校には野球をする生徒はそれまで一人もいなかった。しかし、65年以上前、この地に野球が花開いた時期があった。◆太平洋戦争中、この町には捕虜収容所が設置され、最大で1100人の日本人捕虜が収容されていた。彼らの大きな楽しみが野球だった。バットやグローブは材木を削ったり、支給された革靴をほどいたりして手作りした。オーストラリア側の捕虜の扱いはジュネーブ条約にのっとった良好なものだった。ラインを引く石灰の代わりにメリケン粉を使ったり、魚を要求すればニュージーランドから空輸されたりもした。捕虜の間には生きる喜びが芽生えていた。◆だが、安楽な日々は突然終わりを告げる。1944年8月5日、日本人捕虜が集団脱走。ある者は機関銃に撃たれ、ある者は自ら首を吊って234人が死亡した。きっかけは些細なことだった。捕虜が増えて収容所が手狭になったため、オーストラリア側が捕虜を兵と下士官に分離することを通告したのだ。捕虜であることの屈辱を晴らす機会をうかがっていた一部の強硬派の捕虜が決起を主張する。穏健派は全員による投票を提案するが、投票の際、捕虜を動かしたのは、暴動に反対とは主張しにくい「空気」だった。◆捕虜の中でひときわ目立つ存在だった人物がいる。長くキャンプリーダーを務め、暴動の開始を告げる突撃ラッパを吹いた「南忠男」だ。事件で死亡した南は偽名だったため、長く本名や出身地は謎のままだった。しかし日豪の研究者などの調査で、1980年代になって香川県出身の海軍パイロットとわかった。彼はダーウィン空襲で被弾し、奇跡的に不時着してオーストラリアにおける日本人捕虜の第1号となっていたのだ。◆彼の墓の命日は、カウラ事件ではなく、1回目のダーウィン空襲が行われた1942年2月のままである。その他、多くの捕虜が帰国してみると戦死したことにされていた。カウラ市内の日本人墓地に眠る人の中にも、本当の命日を遺族が知らない人が他にもたくさんいるはずだ。


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