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テレビ番組

映像’08 なぜ警告を続けるのか ~京大原子炉実験所・“異端”の研究者たち~

番組ID
203513
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放送日時
2008年10月19日(日)00:40~01:40
時間(分)
51
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
毎日放送(MBS)
製作者
毎日放送(MBS)
制作社
毎日放送(MBS)
出演者
ナレーター:石田敦子
スタッフ
撮影:田邊浩司、撮影助手:大崎直紀、編集:藤田幸司、録音:坂東幸彦、選曲:渋谷安昭、タイトル:森村幸代、VTR:大塚直哉、ディレクター:津村健夫、プロデューサー:赤阪研二
概要
安全面ばかりが強調される日本の原子力開発に、異を唱え続けてきた研究者たちがいる。自らを“異端中の異端”と言いながらも原子力開発に警告を発し続ける京都大学原子炉実験所の二人の助教、小出裕章さんと今中哲二さんを追ってその思いを伝え、安全とは何かを問いかける。◆誰もが参加できるゼミや講演を開くなどして警告を続ける二人の活動は、日本で初めて原子力発電所の安全性が争われた伊方原発訴訟で、原告住民側の証人や代理人となったことから始まった。以来、思いを同じくする実験所の同僚とともに「熊取6人組」として市民からの信頼を得てきた。日本では、原発の使用済み燃料を処理する高速増殖炉などで再利用する核燃料サイクルが国策となっているが、トラブル続きで先行きが見えていない。原子力を選ぶか選ばないかは、一人一人が考えて決めることで、私は科学の側にいる人間としてその責任を果たしたい、と小出さんは語る。
受賞歴
ギャラクシー賞(第46回選奨)

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