テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

終戦記念特別ドラマ 真実の手記 BC級戦犯加藤哲太郎 私は貝になりたい

番組ID
200717
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2007年08月24日(金)21:00~23:24
時間(分)
122
ジャンル
recent_actors
ドラマ
放送局
日本テレビ放送網(NTV)
製作者
日本テレビ放送網(NTV)
制作社
日本テレビ放送網(NTV)、日テレアックスオン
出演者
スタッフ
原作:加藤哲太郎、脚本:寺田敏雄、音楽:大島ミチル、制作:佐藤敦、制作:西牟田知夫、制作:大森美孝、美術:門奈昌彦、撮影:渡部健、音声:岩橋尚治、照明:生形浩司、編集:松竹利郎、効果:橋本正明、演出:雨宮望
概要
昭和33年(1958)TBS系列で放送した名作ドラマ「私は貝になりたい」(放送ライブラリーで公開中)のタイトルになっている遺書を書いた、加藤哲太郎氏の著書「私は貝になりたい~あるBC級戦犯の叫び」をもとにしたドラマ。“人道的罪”を問われたBC級戦犯の実態を描きながら、戦争の悲惨さ、理不尽さ、そして終戦前後の日本人の複雑な思いをも描き出す。◆昭和20年、加藤哲太郎は新潟の俘虜収容所で終戦の玉音放送を聞いた。大学で経済学を学び、外国語ができるということで高級将校も含むこの収容所の担当になっていた加藤は、放送を聞きながらある決意を固めていた。それは、数ヶ月前に起きた捕虜射殺の一件についてだった。
受賞歴
ATP賞(第24回ATP優秀賞)

同じ年代の公開番組

NHKスペシャル 鬼太郎が見た玉砕 ~水木しげるの戦争~

妖怪漫画で知られる水木しげるが自らの戦争体験を描いた「総員玉砕せよ!」をもとにしたドラマ。◆昭和46年(1971)、漫画家・水木しげる(香川照之)は「ゲゲゲの鬼太郎」などの執筆で忙しい中、無理やりに休暇をとって、赤道直下のパプアニューギニアを旅した。水木は太平洋戦争中、21歳の時に召集され、南方の激戦地・ニューブリテン島ラバウルに送られた。当時、連合軍に島の半分を占領されて、日本軍の敗色は濃厚。水木二等兵は最前線の小隊に配属され、過酷な戦場を生き抜いた。以来、26年ぶりに踏むニューギニアの大地。そして、これがそもそものきっかけだった。◆昭和47年となり、日々連載の締め切りに追われる水木の周りで奇妙な出来事が相次ぐ。行きもしないレストランから請求書が届き、連れ込み旅館で水木の姿を見かけたと編集者に言われる始末。おまけに水木の行く先々には、夢か幻か、南方の象徴であるハイビスカスの花が咲き誇っている。やがて水木は「何者かに押される形」で、自身の戦争体験を漫画に描き始めた。◆水木は、自らの戦場体験を渾身の力を振り絞って描いた。そして漫画は否応なく、戦友たち皆が玉砕したあの“聖ジョージ岬”へと進んでいく。「総員」が「玉砕」への道に向かわざるを得なかった、あの理不尽な出来事へと…。


recent_actorsドラマtvテレビ番組
NNNドキュメント’07 宇宙に1番近い町工場 ~ロケット職人の夢~

北海道赤平市の「植松電機」はリサイクル用マグネットを作っている町工場。その町工場ではマグネット以外に、ある珍しいものを作っている。北海道大学の永田晴紀教授が開発した、安全で低コストの「カムイハイブリッドロケット」というロケットである。永田教授の研究を知った植松電機の植松努専務が「うちの工場で作らせてください」と開発協力を志願したのだ。◆実は植松専務には幼い頃から空への憧れがあった。飛行機を作りたい、ロケットを作ってみたい…。しかしそんな少年に対し、周りの大人は「そんなこと、田舎ではできない」と笑った。諦めろとも言った。植松専務は心のどこかで、そんなアタマごなしの否定に納得がいかなかった。◆最初は戸惑っていた社員たちもいつしか同じ夢を目指すようになり、それはやがて社員全員の夢となる。しかしロケット開発は容易ではなかった。何度実験を繰り返してもエンジンは爆発。打ち上げ予定を目前にして、断念。挫折を繰り返し、落ち込む専務たち。「カムイハイブリッドロケット」は、果たして空に飛び立つ日が来るのだろうか。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.