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テレビ番組

NHKスペシャル 減災 ~阪神大震災の教訓はいま~

番組ID
015204
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放送日時
2003年01月17日(金)20:00~20:45
時間(分)
45
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
ondemand_video
報道・時事
放送局
NHK
製作者
NHK
制作社
NHK、NHK大阪、NHK神戸
出演者
司会:住田功一、語り:岸本多万重、解説:林麻里代
スタッフ
照明:アレックス遠藤、照明:松野要、照明:青木源基、美術:田中伸和、編集:日外隆之、編集:浮田浩治、技術:井口泰典、技術:越田雅晴、構成:蜷川健、構成:近藤誠司、音声:中村真之、音声:伊藤文王、音声:目黒智、取材:坂口央、取材:小島賢一郎、取材:林麻里代、取材:碓田潔、制作統括:中田裕之、制作統括:川畑和久、制作統括:赤木俊夫、音響効果:巽浩悦、CG:山田成彦、CG:荒田健治
概要
阪神淡路大震災から8年がたち、災害対策の現場に「減災」という考え方が定着してきた。限られたヒト・モノ・カネをどう配分すれば被害を最小限に抑えられるかという、合理的な思想に基づく「減災」の最先端を、各自治体の取り組みに追う。
放送ライブラリー以外で視聴可能な施設

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南米アンデス山脈の山あいにコスキンという小さな市がある。この市は毎年1月に「フェスティバル・ナショナル・デ・フォルクローレ」という中南米音楽の世界的祭典で賑わう。この「フォルクローレの祭典」が日本でも毎年開催されている。福島市から南東へ車で1時間程、阿武隈山系の山あいにある織物の町、川俣町、人口約1万8千人の小さな町で開かれる「コスキン・エン・ハポン」である。◆開催事務局の中心は同町で織物業を営む長沼康光さん。若い時から大の音楽好きだった長沼さんは、昭和20年代にラジオで聴いたフォルクローレの音色に感動、中南米音楽レコード鑑賞会を組織。1955年には「ノルテ・ハポン」(北日本中南米音楽連盟)が発足。1975年秋に長沼さんや、ノルテ・ハポンの呼びかけで、東京・仙台・川俣町の即製グループ、合わせて13グループによって、川俣町で第1回の「コスキン・エン・ハポン」が開催された。◆この音楽祭は、当初ノルテ・ハポンに加盟する各県で行う予定だったが、阿武隈山系の山あいに位置する川俣町の雰囲気が本場アンデスを彷彿とさせるため、継続して川俣町で開催されてきたという。今年で29回目を迎え、10月に3日間にわたり、川俣町中央公民館で開催された。出演者数は、年々増加してゲストをはじめ全国の愛好家150組が参加するイベントへと発展した。今や、川俣町は日本のフォルクローレの中心地として中南米音楽愛好家でその名を知らない者はないという。◆一方で長沼さんは1980年より、小中高生を中心とした無料のケーナ教室「アミーゴ・デ・川俣」を主宰し現在40人の会員が週1回練習を行っている。「祭りを開くから演奏グループが集まる。そして、もてなす人々のあたたかさに触れて再び訪れる。子どもも大人も一緒に楽しめる音楽」と語る長沼さん。将来はコスキン市との姉妹都市提携など夢は広がる。◆番組では、来年30周年を迎える素人集団の長沼さんとその仲間たちが「コスキン・エン・ハポン」に懸ける意気込みを紹介する。


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