テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

radio
ラジオ番組

録音風物誌 宮崎ぎょうざ 悲願の日本一

番組ID
R23836
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2022年05月07日(土)06:15~06:25
時間(分)
10
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー・録音構成
放送局
宮崎放送(MRT)
製作者
宮崎放送(MRT)
制作社
宮崎放送(MRT)、地方民間放送共同制作協議会
出演者
ナレーション:村山耕一
スタッフ
企画:村山耕一、構成:村山耕一
概要
全国でぎょうざ(餃子)といえば「栃木県宇都宮市」、「静岡県浜松市」が有名だが、実は宮崎県も食卓の定番としてぎょうざが親しまれている。2年前に製造・販売業者らが中心となって「宮崎市ぎょうざ協議会」が発足し、2021年はぎょうざの購入額日本一を目指してPRに力を入れた。上半期からトップを独走した宮崎市。ついに年間ランキングが発表される日を迎える。ぎょうざ界をリードするライバルを上回り、悲願の日本一を達成することができるのか。宮崎市ぎょうざ協議会の渡辺愛香会長の想いと共に、宮崎ぎょうざの魅力を伝える。

同じ年代の公開番組

ドキュメント 加害者家族

夫が特殊詐欺事件で逮捕された女性。彼女は「『加害者の家族なんだから』と言われるが、私たちは本当に何も知らなかった」と訴える。しかし事件後、噂は広がり、自宅はすぐに特定された。誹謗中傷、娘へのいじめ、そして事件の記事はSNSで全国に拡散され、一家は社会から分断されていった。女性は「原因はマスコミが実名で報道したこと」と話す。加害者家族を守るために、“匿名報道”に舵を切った新聞が愛媛県の小さな町に存在していた。36年前のことだ。その思いを受け継いだ遺族は、ネット社会の今こそ、匿名報道が必要と訴える。日本には加害者家族を専門に支援する公的団体はなく、加害者家族という存在への社会の関心は薄い。加害者家族は徐々に社会から追い詰められていく。加害者は“家族との繋がり”が支えとなっている。妻と、塀の中の夫を繋いでいたのは、面会と手紙だ。しかし、逮捕から1年半経っても、女性が浴びる加害者家族という視線。多くの加害者が、家族や親戚から縁を切られているのが実態だ。“繋がり”が切れた時、加害者を待ち受ける末路はあまりにも切ない。夫が逮捕されて迎える2度目の春。葛藤の果てに、妻は一つの答えにたどり着いた。


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組
アナウンサー百年百話 サハリン残留日本人に思いを寄せて 前編

2025年3月22日の放送開始100年に向けて、アナウンサーの「ことば」をもとに放送の100年を振り返るシリーズ。様々な場面で情報を伝えてきたアナウンサーが、その時々でどう向き合ってきたのか振り返る。(2022年4月6日放送開始)◆戦後、サハリンに残留せざるを得なかった日本人がいた。元FM東京のアナウンサーで長年帰国事業を担ってきたNPO法人「日本サハリン協会」会長の斎藤弘美さんのインタビューを2回に分けて聞く。第1回は、サハリン残留日本人について、そして斎藤さんが現地取材を通じて訴えてきたことを伺う。終戦当時のサハリンでは父親が戦争に動員された後、長女である女性たちが結婚して自分の子どもとともに母親や兄弟を養っていた。引揚船が来ても長女は身動きが取れず、そのまま残ることが多かった。斎藤さんが現地取材で会った女性たちは日本をとても恋しく思っており、その様子を見て、同じ長女として実情を知らなかったことを申し訳なく思ったと語る。


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成adaptive_audio_micトーク・ワイドショーradioラジオ番組
“復帰”を二度経験した奄美人(しまっちゅ)

1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効して70年。サンフランシスコ講和条約により独立を果たしたとされる日本だが、その内容は沖縄と奄美などを米軍の下に置き去りにするものだった。その後、奄美群島では、米軍政権下で本格的な復帰運動が展開され、ついに奄美群島は1953年12月25日に日本に復帰を果たす。しかしその一方で、基地建設にわく沖縄に移り住み、沖縄の住民と苦楽を共にしていた奄美出身者は、その日を境に「外国人扱い」を受けるようになり、嬉しいはずの復帰が重くのしかかることになる。同じ日本人として沖縄に生き、生活のため復興のために共に力を尽くしてきた奄美出身者たち。沖縄の政治、経済、行政の要職にある人も少なくなかった。しかし、本籍が沖縄でないということで復帰に伴い公職から追放され、参政権も失い、国費留学生への官費支給も停止されることになったのだ。沖縄が本土に復帰する1972年までの19年間、沖縄に住む奄美出身者は、新たな試練に立ち向かうこととなった。沖縄に住む奄美出身者の目線から、復帰までの道のりを振り返る。


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.