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ラジオ番組

ラジオアーカイブス あの日あの声 音でたどる日本の自画像 第1部 戦前・戦中編

番組ID
R02977
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放送日時
2005年03月19日(土)18:05~18:50
時間(分)
45
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー・録音構成
放送局
NHK
製作者
NHK
制作社
NHK
出演者
司会:古屋和雄、司会:山根基世
スタッフ
演出:松永真一、制作統括:長又厚夫
概要
80年目の放送記念日に向けてシリーズで放送された「ラジオアーカイブス・あの日あの声」。この日は二部構成で、ラジオが唯一の放送メディアだった戦前・戦中から敗戦直後の占領期を、放送の歩みをたどりながら振り返る。ゲストは昭和一桁生まれの作家・半藤一利さん、ラジオ史研究家・竹山昭子さん。◆第1部は戦前・戦中編。大正14年に始まったラジオ放送は、野球中継や演芸番組を通して人気を高めていく。戦時中の放送の実態や放送の持つ力も当時の録音を通して改めて考える。番組内で紹介されるのは、昭和天皇即位の大礼(1938年)、学生野球大会準決勝(1933年、中京商対明石中、延長25回)、エンタツ・アチャコの漫才・早慶戦(1935年)、生態放送・ブッポウソウの鳴き声(1935年)、「兵に告ぐ」(1936年、2・26事件の反乱兵への投降呼びかけ)、開戦の臨時ニュース(1941年)、フィリピン沖海戦の大本営発表(1944年)、爆音による敵機の聞き分け方(1944年)、玉音放送(1945年)。

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