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ニュース映画

毎日世界ニュース 436 ヤマは決戦体制

番組ID
N00899
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上映日
1959年12月16日(水)
時間(秒)
68
カテゴリ
科学・技術・産業
概要
1492名に退職勧告状が出るにおよんで、三井三池炭鉱はいま緊張した空気に包まれている。1959年12月8日、組合はこの勧告状を一括返上しようと、鉱業所へデモを繰り返して、もう一歩もひけないと裏のグランドでは3万人の大集会。お家芸の家族ぐるみで決戦体制を固めた。代表者が会社側に団体交渉を求めたが、鉄条網を張りめぐらして応ずる気配もない。受け取らねば焼くまでと組合員は勧告状を火の中に投げ入れて気勢を上げた。デモに明けデモに暮れる大牟田の街、三池争議はドロ沼の様相を見せて来た。(週間話題)

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毎日世界ニュース 418 松川事件裁判やり直し

昭和24年(1949年)8月17日午前3時9分、東北線上り旅客列車が突然脱線転覆。乗務員3名を死亡させた松川事件も、あれから丁度10年。1959年8月10日は最高裁の判決の日。無罪要求の行進が被告たちを先頭に続々と東京に入って来る。この日最高裁は異例の警戒ぶり、乗り込んで来た右翼が押し返され、一方では労働組合員たちも警官に阻止されて近づけず、遠くで公正裁判を要求。こうした騒ぎをよそに午前9時過ぎ、南門から傍聴人が静かに入廷。そのあと被告が続いて入る。やがて田中耕太郎最高裁長官も出廷して、午前10時3分、松川事件上告審の判決が下された。「原判決を破棄し、本件を仙台高裁に差し戻す」。裁判はまったくのやり直し。長い間ペンで共に闘ってきた作家広津和郎氏の感慨はひとしお。2審で死刑だった被告は「無罪でないのが残念だ」ともらせば、田中長官は「良心に従う裁判とは、どちらにも気兼ねなしにすることだ」と語る。しかし、さすがに10年ぶりに取り戻した被告たちの喜びは大きく、「松川公判を聞く会」に集まった数千人の労働組合員から、家族と共に祝福を受ける。無罪への明るい見通しに、歓呼の声は夜の街にいつまでもこだました。


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毎日世界ニュース 434 国会デモ乱入事件

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