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ニュース映画

毎日世界ニュース 434 暮れ迫る

番組ID
N00889
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
上映日
1959年12月02日(水)
時間(秒)
143
カテゴリ
社会
概要
1959年もあと1月。景気の上り坂を背景にして、街はもう華やかな歳末商戦を繰り広げている。北海道はもう雪景色。企業整備で山を閉じた北海道三井文珠鉱業所では、住みなれた炭住街を引き払って、今日も25世帯が引っ越していく。不況に沈む石炭界に再び日は昇るのだろうか。あれから2ヵ月経った愛知県の災害地にも冷たい師走の風が吹き始めた。一枚の布団の配給を受け取るのに、長い行列を作って慌ただしい冬仕度だ。家を失った人々もやっと応急住宅に移ることが出来て、今日から新生活のスタート。バラックながらも力強く立ち直って欲しいものだ。農協には貸し出し資金の申し込みに農民たちが深刻な表情で額を集め、豊作景気から取り残されて、田圃には塩水に立ち腐れた稲を刈り集め空しく焼き捨てる煙が立ち昇る。災害地には暗い年の瀬が迫って来た。

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毎日世界ニュース 418 波紋投げた原爆記念日

東京から、新潟から、そして、南の果て与論島から始った1000万人の平和行進は、1959年8月4日、目的地の広島に到着した。3コースの団長たちは真っ黒に日焼けした顔で、感激の握手を交わした。一方、全日本学生自治会総連合の学生たちも続々と到着。安保条約改定反対を掲げて世界大会に参加した。こちらは大会に背を向けた右翼の連中。ニセの平和大会をぶっ潰せと原水爆禁止日本協議会の安井郁理事長にねじ込んだ。また、ソビエト代表にも「帰れ帰れ」と食ってかかる狼藉ぶりで、折角の世界大会も、とんだ邪魔が入った。一方ではイギリスや西ドイツ代表が、核武装反対で西ヨーロッパだけを非難すると、大会に不満を抱いて脱退するなど思わぬシコリを残した。こうした中で迎えた1959年8月6日、新たに187名の死亡者を加えた原爆慰霊碑の前に、2人の遺児が花輪を捧げ、悲しみも新たに3万人の参加者は深く頭を垂れて犠牲者の冥福を祈った。この時、頭上を旋回する飛行機から、またも心ない右翼の宣伝ビラ「ニセの大会にだまされるな」が撒き散らされた。しかし広場にはこの雑音もよそに、深い悲しみと平和への祈りが静かに流れていた。右翼の連中もさすがに気がとがめるのか、警官に後を付けられながら神妙に黙祷を捧げた。こうして色々と波紋を投げた原水爆禁止世界大会も、1959年8月7日、安井理事長が読み上げるヒロシマアピールを最後にその幕を閉じたが、年毎に派手になって来た世界大会の陰には、被爆者の切々たる訴えも聞かれる。そして8月9日、原爆第2号の地長崎でも平和への祈りが捧げられた。これが14年目を迎えた広島と長崎の原爆記念日の表情であった。


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