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ニュース映画

毎日世界ニュース 413 ガス地帯を行く 新潟

番組ID
N00799
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
上映日
1959年07月08日(水)
時間(秒)
160
カテゴリ
地域
概要
新潟市では梅雨の訪れとともに市内のあちこちに浸水がみられ、年ごとに低くなってゆく地盤が大きな問題になっている。護岸工事も急ピッチで進められているが、追い付かないのが現状のようだ。このあたり一帯は日本有数の天然ガスの宝庫として知られ、ガスの開発による地下水の大量汲み上げが、地盤沈下の原因ではないかといわれている。しかし只より安いものは無いと田んぼのわきにも自家用タンクが備えられ、豊富に供給されるこのガスのお陰で、農家は都会並の文化生活が出来るとほくほく。街にはガス充填所が有り、市内を走るバスも、ボンベを横腹に抱え込んだトラックも、また乗用車まで天然ガスで間に合うガソリン不要の燃料天国である。工業用のガスの汲み上げも盛んに行なわれており、日本ガス化学工業では地盤沈下に無関係といわれる水を含まない構造性ガスの発掘に成功した。こうして採取されたガスは工場に送られ、化学工業のメッカとして時代の脚光を浴びて来た。今遠く海外まで輸出される硫安の生産が急がれている。ガス産業とともに最近の発展を成し遂げた新潟市は、地盤沈下の重要問題を抱えて悲喜こもごもの今日この頃である。

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毎日世界ニュース 418 波紋投げた原爆記念日

東京から、新潟から、そして、南の果て与論島から始った1000万人の平和行進は、1959年8月4日、目的地の広島に到着した。3コースの団長たちは真っ黒に日焼けした顔で、感激の握手を交わした。一方、全日本学生自治会総連合の学生たちも続々と到着。安保条約改定反対を掲げて世界大会に参加した。こちらは大会に背を向けた右翼の連中。ニセの平和大会をぶっ潰せと原水爆禁止日本協議会の安井郁理事長にねじ込んだ。また、ソビエト代表にも「帰れ帰れ」と食ってかかる狼藉ぶりで、折角の世界大会も、とんだ邪魔が入った。一方ではイギリスや西ドイツ代表が、核武装反対で西ヨーロッパだけを非難すると、大会に不満を抱いて脱退するなど思わぬシコリを残した。こうした中で迎えた1959年8月6日、新たに187名の死亡者を加えた原爆慰霊碑の前に、2人の遺児が花輪を捧げ、悲しみも新たに3万人の参加者は深く頭を垂れて犠牲者の冥福を祈った。この時、頭上を旋回する飛行機から、またも心ない右翼の宣伝ビラ「ニセの大会にだまされるな」が撒き散らされた。しかし広場にはこの雑音もよそに、深い悲しみと平和への祈りが静かに流れていた。右翼の連中もさすがに気がとがめるのか、警官に後を付けられながら神妙に黙祷を捧げた。こうして色々と波紋を投げた原水爆禁止世界大会も、1959年8月7日、安井理事長が読み上げるヒロシマアピールを最後にその幕を閉じたが、年毎に派手になって来た世界大会の陰には、被爆者の切々たる訴えも聞かれる。そして8月9日、原爆第2号の地長崎でも平和への祈りが捧げられた。これが14年目を迎えた広島と長崎の原爆記念日の表情であった。


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毎日世界ニュース 386 おめでとう1959年

北から南から、新たな年の訪れに太宰府の梅もほころび始めた。兵庫県竜野の農家では手延べ素麺の最盛期。姫路の小林平八郎さんの作業場では国宝姫路城の復元の瓦が念入りに形どられている。皇居では御成婚近い皇太子さまを囲んで天皇御一家の楽しいお正月。天皇・皇后両陛下が睦まじく皇居内を散歩されれば、皇太子さまと美智子さんも思い出のアルバムを挟んで生涯の設計に楽しいひと時を過される。熊本県八代で、大羽子板が新春の装いを凝らす時、東京浅草の幼稚園では、可愛らしいお餅つき、軽井沢のスケート・リンクでは、若い人たちがカルタ取りや餅食い競争に興じている。さて1959年は亥の年。大阪の狩猟ずきが猟犬と猪を追えば、熊本県では、人家に飼われて犬と戯れる仔猪たち、果ては遙々上京してデパートの客寄せに一役買った。「鍋底景気」といわれた昨年の不況を乗り切って、生産界も今年は活気づいている。東電(東京電力)が千葉に建設中の東洋一の火力発電所も、すでに第3期の工事を終って、6月の完成へ急ピッチ。最も近代的な製鉄所として知られる富士製鉄の広畑工場では、従来の連続式冷間圧延機に加えて、最近180センチ幅の薄板を生産できる逆転式冷間圧延機を設置、日本一の薄板生産工場の名に恥じぬ威容を誇っている。こうして天皇も庶民も、町工場も大工場も、国中が新春の息吹に浸っている。明るく、逞しく、今年こそは豊かな年にしたいものである。


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毎日世界ニュース 426 救援を待つ災害地

次第に明らかになっていく伊勢湾台風(台風15号)の被害状況。奈良県吉野郡川上村では山津波で54人が生き埋めとなり、救出作業は困難を極め土砂にのまれた人々の生命は、全く絶望視されている。伊勢神宮では樹齢8百年を超す神木が根こそぎに倒されて、復旧作業に初めて神域にクレーン車が入った。あれから一週間、依然泥海に孤立したままの中京地方では、ついに大切な土地家屋を捨てて、被災者たちが危険を冒して続々と舟や車で集団避難を開始。しかし、衰えを見せぬ濁流にもまれて、自衛隊の救出作業もなかなかはかどらず、空からは日米40機のヘリコプターが出動、人々は着のみ着のまま恐怖におののきながら避難所へ運ばれて行く。国道にも延々と避難者の列が続いている。一方、全国からの救援物資もようやく到着、地元高校生の勤労奉仕で災害地へ向けて食糧のピストン輸送が始まったが、救援物資を積んだ車が至る所で立ち往生。やっと届いた物資も、現地ではわずかに握り飯と、キャベツ1個に水1升の配給というわびしさだ。それでも久しぶりにありついた食料で僅かに生気を取り戻したが、ほっとする間も無くまたも無情の雨が降って、決壊した堤防からは再び海水が逆流、豊作の夢は無惨にも湖水に呑まれてしまった。更に、1週間にわたる長い汚水の中の生活に伝染病が至る所で発生。既に名古屋市内の病院は450名の赤痢患者で満員の有様。死者・行方不明合せて5千名を突破。学校の校庭にはまだ引取り手も無い死体が、野ざらしのまま冷たい雨に濡れている。やっと始まった仮堤防工事もはかどらず、水が引くまでには2、3ヵ月もかかりそうな現状だ。1959年10月3日、岸信介首相が名古屋に到着、翌4日には皇太子さまもお見えになって、空から水害地の惨状を視察した。史上空前の惨禍を受けた災害地は、泥海の中で今救援の手を待ちわびているのである。


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毎日世界ニュース 429 スポーツの秋なれど

野球ファン待望の1959年プロ野球日本選手権シリーズ、南海対巨人の第1戦が10月24日大阪球場で行なわれた。南海は1回裏ランナー2、3塁のチャンス。巨人の投手は義原武敏、杉山光平打ってセカンドゴロ、土屋正孝のバックホームが遅れ、3塁から森下正夫がホームインして先制の1点をあげた。この回南海は野村克也のヒットなどで3点を追加。義原投手に代わって、今シーズン301勝の日本タイ記録をたてた別所毅彦投手が登場したが、寺田陽介がライト前にヒットして、この回一挙5点をあげた。試合は最終回。ランナーを2、3塁において巨人の反撃、南海の投手祓川正敏から土屋が左中間に大2塁打して2者ホームイン。続いて長嶋茂雄もレフトに2塁打してこの回4点を返し、3点差まで追いあげたが、結局10対7で南海が1勝をあげた。一方、26都府県の議員さんの野球大会の接待に、200万円におよぶ血税を使った東京都の税金の行方が問題となっている。東京のある高校では聖火リレーで始まる運動会で、若人の意気を天高く燃やそうという趣向。1959年10月25日、不人気を伝えられた第14回秋の国民体育大会は、小中高校生まで動員して、どうにか国立競技場を埋めて開会式が行なわれた。全国から16000名にのぼる選手が参加して、華やかな入場行進。水害のため愛知、三重、岐阜3県は欠場し役員だけが行進。続いて聖火が入場して大会気分は最高潮。ともかくも開会式だけは盛り立てようと、夕暮れまで数々の祭典の行事が繰り広げられた。翌26日から6日間にわたって競技が行なわれたが、開会式とうって変わりスタンドはがら空き。この立派な競技場に、5年後は東京オリンピック大会を迎えようとしている折りからこの有様では、日本のスポーツ界の先が思いやられる。


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