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ニュース映画

毎日世界ニュース 389 犬は生きていた

番組ID
N00700
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上映日
1959年01月22日(木)
時間(秒)
129
カテゴリ
社会
概要
昭和31年(1956年)11月、南極へ向かう宗谷の甲板に樺太犬の元気な姿が見られた。昭和基地で第1次観測に活躍した15匹の犬は、厳寒の極地に置去りにされて1年、犬は生きていたのである。生き残った、タロ、ジロの育ての親、北大の犬飼哲夫教授は、今日も樺太犬に変わらぬ愛情を捧げている。嬉しい知らせを聞いて集まった「南極の樺太犬を見守る会」の人々は、大変な喜び様である。第3次越冬を前に心温まる南極からの便りであった。

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毎日世界ニュース 423 安保改定を前に 勤評から西尾問題まで

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