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テレビ番組

SBSスペシャル ふるさとを守れるか ~震度6弱 小谷・真木集落の600日~

番組ID
211403
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2016年07月27日(水)19:00~19:56
時間(分)
47
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
信越放送(SBC)
製作者
信越放送(SBC)
制作社
信越放送(SBC)、コンテンツビジョン、アクテック
出演者
ナレーション:三島さやか
スタッフ
取材:佐々木将岳、撮影:佐々木将岳、撮影:柄木田和茂、撮影:佐藤勉、撮影:原隆、撮影:橋爪忠博、音声:酒井恵、音声:橋爪友洋、編集:吉野雅貴、EED:川村博隆、CG:竹内あずさ、MA:塚田敏康、構成:清水秀行、プロデューサー:水野正也
概要
2014年11月に県北部を襲った地震。小谷村では震度6弱を観測し、約110棟の住宅が全半壊した。11世帯が暮らしていた真木集落では、冬は2メートル近くの雪が積もる。住民は支え合って生きてきたが、住宅が全壊するなどの被害を受け、今住んでいるのはわずか5世帯。避難生活を続ける住民は、集落に自宅を再建するかどうか選択を迫られている。内山利博さん(59歳)はこの地で生まれ育ち、3人の娘を育てた。自宅は全壊し解体。一家は集落を離れ大町市に生活の拠点を移す。それでも利博さんは、ふるさとを守りたいと真木集落へ通い続ける。内山徹雄さん(78歳)の自宅も全壊。ふるさとに残りたいと、妻と2人で避難生活を送る。集落でそば店を営む宇田川光平さん(39歳)は、山村留学を通じて集落に移住した。地震で壊れた店を修理し集落に残るという。地震で一変したふるさとの姿は、過疎と高齢化という現実を住民に一気に突きつけた。2016年に入り集落が統合する動きも出始めた。集落の絆を守り、存続の危機を乗り越える道はあるのか。真木集落の600日を追った。

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