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テレビ番組

五島のトラさん ~父親と家族の22年~ 2時間スペシャル

番組ID
210606
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放送日時
2015年05月30日(土)13:55~15:55
時間(分)
100
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
テレビ長崎(KTN)
製作者
テレビ長崎(KTN)
制作社
テレビ長崎(KTN)、KTNソサエティ
出演者
ナレーション:松平健
スタッフ
挿入歌:さだまさし、題字:茂田恵、撮影:内藤照史、撮影:島田総一郎、撮影:峰下正道、撮影:黒木誠、撮影:井上康裕、編集:井上康裕、VE:田渕圭太、VE:松本翔、美術:松本亮太、美術:久保田はるな、音響効果:渡辺真衣、MA:濱田豊、広報:山口葵、編成:増田朋和、撮影:大浦勝、構成:大浦勝、演出:大浦勝、プロデューサー:大浦勝
概要
長崎県五島列島の自然や祭りを織り込みながら、世代交代していく家族の風景を描く。五島のトラさん、家族9人22年のドキュメンタリー。◆長崎市の西方70キロに浮かぶ五島列島。列島の北部・新上五島町で、五島うどんや天然塩の製造業を営む犬塚虎夫さん一家。夫婦と子ども7人の9人家族。取材を始めたのは1993年だった。◆父親・トラさんのモットーは「自分の子どもは自分で鍛える」。子どもたちは毎朝5時に起きて、約1時間うどん作りを手伝い、学校に行く。「学校では教えない、生きていくために大切なことや、お金の価値を学ぶことができる」とトラさんは話す。◆7人の子どもはそれぞれの思いで成長していく。父親に反発して家を出て行く子、地元に残り漁業に就く子、様々。たくましく成長していく子どもたちと、裏腹に老いていく父親、そして妻の思い。どこの家族にも通じる親子の葛藤、哀しみ、喜び…その風景の軌跡を丹念に追う。
受賞歴
ギャラクシー賞(第53回奨励賞)

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英雄の妻 敦子 ~激動の日中関係を生きた女の人生~ / 第29回民教協スペシャル

1971年3月、愛知県体育館で開催された「世界卓球選手権」。東西冷戦の時代、断絶していた中国とアメリカが手を取り合うきっかけとなった大会だ。荘則棟(そうそくとう)はその「ピンポン外交」の立役者。彼は世界卓球選手権を3連覇し、建国間もない中国に夢と希望をもたらした「民族の英雄」だった。◆この時に名古屋で荘則棟と出会い、後に妻となった佐々木敦子さんは、1944年に当時の満州で生まれた。獣医だった父親の研究継続のため、終戦後も家族で中国に残ることになり、未開の中国西域に移り住んだ。その後、父親が亡くなり、敦子さんは22歳で初めて日本で暮らすことになる。しかし祖国での暮らしに馴染めず、心は中国を求めていた。◆そんな時に世界卓球選手権大会が開かれた。中国代表チームの参加が報じられ、敦子さんはたまらずに名古屋へ向った。中国チームのいるホテルを訪ねた敦子さんに、たまたま応対したのが荘則棟だった。荘は「日中友好に貢献を」と言葉を掛けたという。そして敦子さんは大手商社の中国駐在員となる。荘はスポーツ大臣にまでなっていたが、毛沢東が亡くなり、それまで権力を握っていた「四人組」が失脚。荘は四人組の協力者とみなされ、4年間監禁された後、地方へ追放された。◆敦子さんは荘則棟の境遇を知り、北京で荘と再会した。そして何とか彼を救おうとし、いつしか2人は恋に落ちた。しかし中国政府は2人の結婚を認めなかった。大きな犠牲を払い結婚した2人に、20年以上は幸せな日々が続いた。しかし2013年に荘がガンで死亡。そして中国当局はかつての「英雄」の葬儀を禁ずると告げてきた。


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2015年6月、自民党の勉強会で安保法制をめぐり、講師として招かれた作家の百田尚樹氏が「沖縄の新聞2紙は絶対潰さなあかん」と発言、近畿選出の長尾敬衆議院議員も「沖縄は左翼勢力に乗っ取られた新聞の牙城で世論がゆがめられている」と述べていたことが発覚し、報道への圧力をかけるものとして批判を浴びた。◆沖縄の新聞2紙と名指しされたのは「琉球新報」と「沖縄タイムス」で、米軍基地に対しては一貫して縮小を主張、辺野古移設についても反対の論陣を張っている。発言の背景には自民党政権の「沖縄世論」への苛立ちがあると見られる。「報道は公正中立であるべき」といわれるが、そもそも報道における中立とは何なのだろうか。メディアは誰のため、何のために報道するのか、その根本が今問われている。◆本土ではほとんど知られていない沖縄の新聞。番組では、「潰せ」発言を機に「琉球新報」の1か月を密着取材。新聞社の内部に入り込み、沖縄のジャーナリズムの根源を探るとともに本土との温度差を浮き彫りにし、本来メディアに求められる役割を問い直し、日本の民主主義のあり方に直結する問題を考える。


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2005年4月25日午前9時18分頃、兵庫県尼崎市でJR福知山線の車両がカーブで激しく脱線。乗客106人と運転士が死亡、負傷者560人以上の大惨事となった。◆兵庫県宝塚市の淺野弥三一さんは、あの朝、妻の陽子さんと次女の奈穂さんを自宅から送り出した。2人は、千葉の親族を見舞うため、弥三一さんの妹・ちづ子さんとともに新大阪駅に向かう途中に事故に巻き込まれた。2両目で瀕死の重傷を負った奈穂さんは奇跡的な回復を遂げたが、10年たった今も電車に乗ることができない。弥三一さんは、この10年、ひとつの決意をもって生きてきた。「あの事故を二度とではなく、絶対に起こしてはならない」。そのためには、JR自らが事故原因を分析し、安全体制を構築するしかないと考え、元社長らの刑事裁判には一切足を運ばず、「罰」を求める気持ちは脇に置き、JR西日本という組織に向き合い続けてきた。弥三一さんがJRにも参加を呼びかけて指針作りを目指した「安全フォローアップ会議」は2014年4月、ひとつの結論を導き出し、JRは今後「安全」の検査に外部の目を加えることとなった。◆「安全」を確かなものにするため、企業の犯罪を問う「組織罰」の創設を目指す遺族もいる。神戸市北区の大森重美さんは、長女の早織さんを亡くした。事故当時はゼネコン企業で人事研修を担当していた。組織の一員としての経験から、事故があっても企業を処罰できない「刑法」に疑問を抱くようになった。組織の責任体制を明確にすることが安全を確立する一つの手段だと考え、大森さんは2014年3月、「組織罰」の勉強会を有志で立ち上げた。◆JR西日本は、この10年の間に、約8000億円を「安全対策」に投じてきたという。しかし目に見えない「鉄道の安全」は、一瞬の気の緩みで崩れてしまうことを私たちは忘れてはならない。


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