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テレビ番組

この海に幸あり

番組ID
208425
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放送日時
2013年05月04日(土)15:30~16:25
時間(分)
48
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
石川テレビ放送(ITC)
製作者
石川テレビ放送(ITC)
制作社
石川テレビ放送(ITC)
出演者
ナレーター:おおみちとせ
スタッフ
水中撮影:小又一聡、水中撮影:鎌村実、撮影:木本俊也、撮影:中岡克也、タイトル:高倉園美、音響効果:大川育三、編集:渡辺信行、構成:川上伸一、ディレクター:今井一秀
概要
富山湾に面した石川県七尾市能登島長崎町には、24世帯72人が暮らしている。かつては半農半漁の村だったが、いま専業の漁師は中山利則さんだけになった。中山さんは冬はカワハギ、他の季節はタイを獲って生計を立てている。妻の美根子さんと未明に出漁し、戻ってくるのは午後3時頃という生活をずっと続けている。漁師仲間の多くがきつい労働と収入の不安定さから船を降りた。しかし、中山さんは値段の高い魚に狙いを定め、55年間にわたり漁師を続けてきた。◆漁の合間、中山さんは磯へ小船を出し、魚やイカを捕まえる。95歳の父親と3人で囲む食卓には海の幸が並ぶ。中山さんは「体さえ動かせば、食べるものは自給自足できる。海があるから心にゆとりを持てる」と話す。その中山さんは海で遊び、自然に漁師になったという。30年前に父から船を任され、魚の取り方を真剣に覚えた。漁業の面白さを学び、漁師に成長できたのは「育ての親」としての海のおかげだ。◆漁師の仕事は「板子一枚下は地獄」と例えられるほど危険に満ちている。それなのに、なぜ中山さんは海から離れられないのか。番組では、世界農業遺産に認定された「能登の里海」と共にある中山さん夫婦の暮らしを描きながら、その答えを探していく。

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