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テレビ番組

マザーズ 「特別養子縁組」 母たちの選択

番組ID
207475
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放送日時
2012年05月26日(土)02:45~03:42
時間(分)
49
ジャンル
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ドキュメンタリー
放送局
中京テレビ放送(CTV)
製作者
中京テレビ放送(CTV)
制作社
中京テレビ放送(CTV)
出演者
ナレーター:丸尾知子
スタッフ
撮影:伴尚志、音声:武内祐子、音響効果:伊藤琢磨、ミキサー:浜口崇、タイトル:加藤眞由美、リサーチ:杉浦邦枝、取材:酒井志帆、編集:大津一剛、ディレクター:安川克巳、プロデューサー:中保謙
概要
美沙さん(仮名23歳)は未婚で妊娠7か月。同棲している彼からは「中絶して欲しい」と言われた。中絶は嫌だったが、自分で育てる自信はなかった。そんな時、美沙さんは「特別養子縁組」という制度があることを知り、子どもを人に託す事にした。◆予期せぬ妊娠で産まれる子の養護を目的に、国が1988年に作った制度「特別養子縁組」。生後間もない小さな命が、産みの母から育ての母へリレーされる。美沙さんは予期せぬ妊娠の出産をサポートするNPOで暮らし、病院で出産した。1週間後、赤ちゃんは引き取られていくことになり、美沙さんは我が子との別れに泣き崩れたが、「私は命しか守れなかったけど、これから新しいお父さんお母さん家族に守ってもらいたい」と語った。◆14歳の少女は、妊娠に気付いた時には中絶できる時期を過ぎていた。少女の母親は施設に預けて何年後かに引き取って育てるかなど、悩んだのだが、結局彼女は出産後、養子として人に託すことを選択した。生まれた赤ちゃんは、不妊治療に見切りをつけ養子縁組団体に育ての親(養親)として登録した夫婦の元へむかえられた。◆養子縁組で男の子を育てあげた女性は、息子が反抗期の時に「こんな家に来たくなかった」と言われて辛い思いをしながらも、育ててくれた感謝の手紙をもらって感動したという。特別養子縁組で育ての親の元で成人した女性は、周りで中絶する友人もいたため、「産みの母」が命をくれたことに感謝している。しかし「生まれ変わったら養父母の元に生まれてきたい」とも語る。
受賞歴
日本民間放送連盟賞(2020放送と公共性優秀(ドキュメンタリー「マザーズ」を起点とした特別養子縁組の継続報道9年))

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