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ラジオ番組

燃えろ!団塊パラダイス

番組ID
R03016
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2005年11月19日(土)19:00~20:00
時間(分)
55
ジャンル
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トーク・ワイドショー
放送局
宮崎放送(MRT)
製作者
宮崎放送(MRT)
制作社
宮崎放送(MRT)
出演者
スタッフ
制作:湯浅和憲、演出:深田裕美、演出:湯浅和憲、脚本:湯浅和憲、音声:仮屋幸一郎
概要
定年を迎えようとしている「団塊の世代」。職業的技能はもとより、趣味やグルメ、健康に関しても幅広い経験を有している団塊世代のパワーを総結集して、高齢化社会を迎えた日本全体を応援する番組(2005年4月放送開始)。今回の内容は、「昭和想い出の歌」(「君の名は」「ブルー・カナリー」)、団塊世代に流行語を紹介する「当世若者ことば」、団塊世代の関心事をリポートする「団塊リポート」は葬儀事情、「私の街の団塊世代」は都城から、団塊世代が熱中したテレビ・ラジオ・雑誌などを取り上げる「こども昭和史」。◆パーソナリティは団塊世代の長野省三と、団塊ジュニアの古賀恵子。

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日本で初めての私鉄・阪堺鉄道。今から120年前の1885年12月27日、大阪の難波と堺の手前の大和川停留場を結ぶ7.6キロで開業した。多くの来観人民で埋まった沿線を、イギリス製の機関車「和歌号」は歓声と緊張の中、走り抜けた。阪堺鉄道を立ち上げたのは、当時大阪の経済界でこの人ありと言われていた松本重太郎である。◆開業時、すでに第百三十銀行頭取であった重太郎は、鉄道の建設予定地に立ち、人が通れば小豆の粒を、人力車が通れば大豆の粒を右懐から左懐に入れ替えて通行量調査(今で言うマーケットリサーチ)を行った。暮れも押し迫った12月27日の開業にも、計算されたメディア戦略があった。120年前の新聞内容を再現すると、開業日には花火が打ち上げられ、祝いの餅がまかれ、大阪中の芸子が勢揃いして招待客を接待した。◆重太郎は、鉄道・紡績・ビール・精糖・銀行と起業し、当時の関西経済界を席巻したが、功績にまつわる資料はほとんど残っていない。晩年、紡績事業のつまづきから銀行の取り付け騒ぎが起きて破産するが、「悉皆出します」と一族の全財産を投げ出して潔く引退した。この潔さを小説にしたのが城山三郎、題名は「気張る男」。◆番組は、開業当時の機関車「和歌号」が120年前を回想する形で進行。阪堺鉄道にまつわるエピソードを、重太郎の功績を中心に紹介する。歴史研究者、出生地での伝聞、ひ孫の松本洋さんの証言、ルポライターの現場リポート、各種資料を紹介するアナウンサーが次々に登場、「和歌号」をサポートする。出演は笑福亭小松。


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