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ラジオ番組

録音でつづる戦後50年 もはや戦後ではない(1956年)

番組ID
R02463
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放送日時
1995年09月16日(土)18:00~18:50
時間(分)
42
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー・録音構成
放送局
NHK
製作者
NHK
制作社
NHK
出演者
スタッフ
概要
NHKに保存されている録音で戦後の50年を振り返る番組。進行役は相川浩アナウンサー。(1995年4月~1996年3月放送)◆この回のテーマは「もはや戦後ではない」。ゲストに東京地婦連事務局長の田中里子さんを迎えて1956年を振り返る。◆昭和31年、日本とソ連との交流が回復し、シベリアから抑留者を乗せた引揚船が次々と入港、東海道線が全線電化、アメリカの女優グレース・ケリーがモナコ王妃になるなどの話題があった年である。経済白書で使われた「もはや戦後ではない」がこの年の流行語となった。「神武景気」などと呼ばれ日本経済は高度成長へと方向づけられたが、庶民の生活はまだ貧富の差が激しく、エンゲル係数は50%以上、国鉄やお米の値上げが続くなど、決して「もはや戦後ではない」という言葉が当てはまる時代にはまだなっていなかった。この言葉は豊かになったという意味ではなく、敗戦という悲観的な考え方をする時代は終わったということなのではなかったのか。◆広島・長崎の原爆から11年が経過、ビキニ環礁では地球上最大規模の核実験が行われた。日本では各地で米軍基地問題が起こり、地婦連をはじめとする複数の婦人会が結束し抗議行動を行なった。8月に日本原水爆被害者団体協議会が結束され、12月には国連にも加盟。核兵器の廃絶・戦争のない平和な世界は、政府間だけの協議では築けない。国と国との架け橋、人々の声と政治の力を合わせて人類の生命や幸福を守ろうという意識が高まった。

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NHKに保存されている録音で戦後の50年を振り返る番組。進行役は相川浩アナウンサー。(1995年4月~1996年3月放送)◆この回は特集「文豪たちが語った昭和」。作家の坂口安吾、江戸川乱歩、林芙美子、志賀直哉それぞれが、NHKの放送で語った話を再構成して紹介する。◆坂口安吾は昭和24年、42歳の時「朝の訪問」に出演している。その中で推理小説を書くには相当の時間が必要であり「不連続殺人事件」は戦時中から構想を暖めていたという話や、小菅刑務所は美しくするために加工したものを一切使用せず必要なものだけで組み立てたもので、魂を揺り動かす美観があるという話などをしている。◆江戸川乱歩は昭和34年64歳の時「文壇よもやま話」に出演している。乱歩は文学青年ではなかったが、谷崎潤一郎らの小説に出会い刺激を受けたという。そして推理小説と通常の小説との書き方の違いの話や、これから書きたいものは「世界探偵小説史」であるという話などをしている。◆林芙美子は昭和26年47歳の時「若い女性のつどい」に出演し、十代の頃の希望、作家になった動機などを十代の女性の質問に答えている。若い時には本を読み、良い絵を見、良い音楽を聴いて心を豊にすることが大切だと話している。◆志賀直哉は昭和32年74歳の時「朝の訪問」に出演している。若い頃は落語が好きで、大学に入った頃、落語研究会で色々に人の噺を聞いたという。聞き手である桂三木助の先代の三木助は高座で必ず踊ったし、話が本格的で感心して聴いていた。女義太夫なども好きであったと当時をなつかしく振り返る。


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