テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

radio
ラジオ番組

私の日本語辞典 大阪の言葉・上方のひびき(4) 藤本義一

番組ID
R01151
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
1995年12月24日(日)22:20~23:02
時間(分)
42
ジャンル
school
教育・教養
adaptive_audio_mic
トーク・ワイドショー
放送局
NHK
製作者
NHK
制作社
NHK
出演者
スタッフ
概要
幅広い分野から講師を迎え、日本語をユニークな視点から捉える「私の日本語辞典」。4回シリーズで大阪出身の作家の藤本義一さんが大阪の言葉について語る。第4回は「重ね言葉と省略語」と題して送る。聞き手は秋山和平。

同じ年代の公開番組

録音でつづる戦後50年 なべ底不況(1957年)

NHKに保存されている録音で戦後の50年を振り返る番組。進行役は相川浩アナウンサー。(1995年4月~1996年3月放送)◆この回のテーマは「なべ底不況」1957年を振り返る。ゲストは元京都府立大学教授の寿岳章子さん。◆この年、群馬県の米軍演習場で主婦が射殺されるという「ジラード事件」が発生したが、これは過去の事でなく現在も続く問題であると語られる。春闘でマスコミは「低姿勢」「なべ底不況」といった言葉を使ったが、こうしたキーワードやキャッチフレーズに惑わされてはならないと寿岳さんはいう。配給米や風呂代が値上げされ、これらにより女性も経済力をつけようと女性運動が盛んになった。◆国連総会で日本は非常任理事国となり、核実験停止に関する単独の決議案を提出した。イギリスがクリスマス島で水爆実験を行うという予告に対し、日本政府は特使をイギリスに派遣し実験の中止を要請したが、実験は行われた。◆6月に都民の飲み水を供給するため小河内ダムが完成し貯水が開始されたが、ダムに沈む村があり社会問題となった。また現在も続いている南極観測がこの年に開始された。


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組
録音でつづる戦後50年 古典芸能の先達(特集)

NHKに保存されている録音で戦後の50年を振り返る番組。進行役は相川浩アナウンサー。(1995年4月~1996年3月放送)◆この回のテーマは「古典芸能の先達」。野村万蔵、喜多六平太、豊竹山城少掾、市川団十郎の芸の一部を聞きながらその人となりを偲ぶ。ゲストは早稲田大学教授の内山美樹子さん。◆狂言の野村万蔵(六世)は明治31年の生まれ。昭和53年に80歳で亡くなる直前まで舞台を努めるなど、充実した芸の生涯を送った。格の高い芸により狂言の地位を高めた一人が野村万蔵であった。◆能の喜多六平太(十四世)は明治7年生まれ。7歳の時に喜多宗家の養子となり、11歳で14代目の家元を継いだ。明治前期に家元になり、芸を築き上げて大正・昭和に名人の名声を欲しいままにするなど、ほぼ1世紀近く活躍を続けた巨人であった。◆文楽の豊竹山城少掾は明治11年東京の生まれ。元々文楽は大阪が本拠地であり、江戸っ子の山城少掾は苦労をしながら文楽を究めた。山城少掾の芸は昭和10年代から24年ごろが全盛期であったのではと話される。◆歌舞伎の市川団十郎(11代目)は明治42年生まれ。昭和37年に団十郎を襲名するが、歌舞伎役者として全盛の56歳で亡くなった。昭和20年代後半から海老様ブームとして人気が高まったが、戦前からその素質は認められていたという。


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組
録音でつづる戦後50年 美を追求した巨匠たち(特集)

NHKに保存されている録音で戦後の50年を振り返る番組。(1995年4月~1996年3月放送)◆この回は特集「美を追求した巨匠たち」。美を追求した二人の巨匠、版画家の棟方志功と彫刻家の平櫛田中が、NHKの放送で語った話を再構成して紹介する。◆明治36年青森生まれの棟方志功は、少年の頃から“ねぶた”が大好きであったという。赤や青など原色だけを使用する描き方と人々を熱中させるダイナミックなエネルギーは、自分の版画の基になっているという。作品は良くしようと思わなくても自然に良くなるもの、創ろうと思うのではなく産婆さんが生まれてくる赤ちゃんを取り上げるような気持ちで創ることが大切だと、棟方志功は話している。◆彫刻家の平櫛田中は明治5年岡山に生まれ、15歳で大阪に奉公に出るが、22歳の時、中谷省古に弟子入りし木彫の手ほどきを受ける。平櫛田中は明治31年頃から3年間に亘って長安寺の禾山(カザン)和尚の講義を受けたが、心の目を開いてもらった思いだと話している。その影響で禅宗のお坊さんをテーマにした“活人箭”を制作するが、この作品が岡倉天心に認められることになったという。平櫛田中は、お金がなくて苦しい時もあったが良い先輩や友人に恵まれ、岡倉先生に認められるような作品も創ることができ、ありがたい気持ちだと話している。


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成adaptive_audio_micトーク・ワイドショーradioラジオ番組