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ラジオ番組

YBCハッピーロード 最上川と私

番組ID
R00942
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放送日時
1996年05月29日(水)13:00~16:15
時間(分)
63
ジャンル
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トーク・ワイドショー
放送局
山形放送(YBC)
製作者
山形放送(YBC)
制作社
山形放送(YBC)
出演者
スタッフ
制作:阿部啓治、制作:高橋俊治、演出:高橋俊治、技術:新野裕、構成:山県昭彦
概要
YBCラジオ午後の生ワイド「ハッピーロード」は1970年4月放送開始の長寿番組。この日は“ふるさと発見ノンフィクション”最上川特集。山形県民の暮らしや歴史が刻み込まれた最上川にまつわる話をリスナーから募集し、紹介。音当てクイズなどをはさみこんで構成する。MCは秋山裕靖と藤村径子。ラジオカー・リポートは沼沢文美、伊藤千枝、飯塚芳江。◆番組では「最上川50年史」と題して、?上流地域「隠れ切支丹物語」、?中流地域「砲弾が飛んだある山村の物語」、下流地域「ゴールドラッシュ物語」という3つの秘史を紹介する。
受賞歴
ギャラクシー賞(第34回優秀賞)

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録音でつづる戦後50年 ロッキード事件とベトナム戦争終結(1974~1976年)

NHKに保存されている録音で戦後を振り返る『録音でつづる戦後』。進行役は相川浩アナウンサー。(1995年4月~1996年3月放送)◆この回のテーマは「ロッキード事件とベトナム戦争終結」。元新聞記者でジャーナリストの黒田清さんと1974~1976年の3年間を振り返る。◆昭和49年は、前年のオイルショックにからんでの便乗値上げもあり、物価は上昇するばかり。その原因が大手商社や石油関連会社だということで、そうした企業に対する世間の反感は相当に強かった。そして東京丸の内の三菱重工ビルでテロによる爆発事件が起こり、通行人など7名が死亡する大惨事となった。このような無差別テロは毎月のように続いた。◆昭和50年は戦後30周年を経過した年となるが、調査によると戦後生まれの人が国民の半数を占めるという結果になった。当時、新聞記者であった黒田さんは「今、戦争について検証しておかなければ、悲惨な戦争に対する思いが風化する」と考え、戦争について新聞に連載を始めたという。取材を続けてみると戦争の暗い影はかなり残っていることを感じたと語られる。◆泥沼化していたベトナム戦争は、アメリカが莫大な費用と5万人以上の戦死者を出す犠牲を払いながら、昭和50年4月にベトナムから撤退することになった。◆昭和51年は、日本で初めての五つ子ちゃんの誕生や巨人軍の王貞治選手がホームランの世界記録を達成するなど、明るい話題もあったが、いわゆるロッキード事件が起こり田中角栄元首相が逮捕されるという事件が発生した。


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NHKに保存されている録音で戦後を振り返る『録音でつづる戦後』。進行役は相川浩アナウンサー。(1995年4月~1996年3月放送)◆この回のテーマは「国民の9割中流意識」。元NHK記者の勝部領樹さんと1967年、1968年を振り返る。◆昭和42年2月の内閣官房室広報部のデータによると、国民の約9割の人は自分の生活は中流だという意識があった。たしかに当時の日本は経済成長の最中であり、昭和40年から45年を平均すると世界も驚く12.4%もの成長率であった。アメリカに次いで世界第2位の経済大国になった日本だが、国民にもその実感があったのではないかという。夫婦共働きで婦人たちが働いて収入を得ることにより、中流の意識に繋がったものと思うと勝部さんは話す。◆しかしその裏側には、四大公害裁判が示すように、経済成長に伴うひずみが生じたことを忘れることはできない。◆学園紛争は激しさを増し、東大では大河内学長が辞任し入試も中止せざるを得ない状況となった。これは既成の権威に対して学生が反発したもので、ベトナム戦争に対する反戦運動や成田空港建設反対闘争にも連動するものだと勝部さんは言う。◆明るい話題としては、川端康成がノーベル文学賞を受賞した。文学賞としては日本では初めて、アジアでも2人目という快挙であった。


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