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ラジオ番組

国際放送60周年記念特別番組 東西冷戦終結とともに変わる国際放送〔3〕(日本語版)

番組ID
R00857
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放送日時
1995年08月02日(水)
時間(分)
26
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー・録音構成
放送局
NHK
製作者
NHK
制作社
NHK、NHKラジオ日本/国際放送
出演者
スタッフ
概要
旧ソビエト連邦共和国のひとつリトアニアの国際放送局ラジオ・ビリニュスは、連邦からの脱出を短波放送で世界に訴えるというしたたかな活動を進めてきた。独立を果たした現在の情況を伝える。

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NHKに保存されている録音で戦後の50年を振り返る番組。進行役は相川浩アナウンサー。(1995年4月~1996年3月放送)◆この回のテーマは「安保で揺れた年」1960年を振り返る。◆昭和26年に調印された日米安全保障条約がいろいろと問題があるとして改正されたのが昭和31年であるが、この改正に反対した学生たちを中心とする人たちは激しい闘争を繰りひろげた。いわゆる60年安保闘争である。昭和35年当時、NHK社会部のデスクとして取材の陣頭指揮をとっていた梅村耕一さんと当時を振り返る。◆昭和32年、ソビエトは人工衛星の打ち上げに成功した。これはアメリカの大陸間弾道弾の技術がソビエトより遅れていたことを意味するものであり、こうしたことが安保改正の背景にあったと梅村さんは話す。◆5月19日政府は、新安保の成立を図るため委員会での質疑を打ち切り会期の延長を決定した。これに対し社会党議員は衆議院議長室の前に座り込みを行い、警察官が導入されるなど大混乱になった。国会周辺では学生に死亡者が出るほどの激しい抗議でもが行われた。政府が強行採決をしたのは、6月20日にアメリカ大統領夫妻の来日が予定されていたため、それまでに安保の改正を決めておく必要があったためだと梅村さんは言う。◆三井三池炭坑では、大量の人員整理をめぐって長期間にわたる労働者争議が行われたし、南米のチリで発生した津波は三陸地方に押し寄せ100人以上の死者を出す大災害となるなど、昭和35年も大変な年であったと梅村さんは語る。


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