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ラジオ番組

Let’s午後ラジオ 新春フライデースペシャル 百田洋之世界記録に挑戦

番組ID
R00788
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放送日時
1995年01月06日(金)
時間(分)
30
ジャンル
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トーク・ワイドショー
放送局
九州朝日放送(KBC)
製作者
九州朝日放送(KBC)
制作社
九州朝日放送(KBC)
出演者
スタッフ
制作:田上寛、演出:郡裕一、効果:本告嘉浩、技術:小田美奈子
概要
マラソン経験のないパーソナリティー百田洋之が、当時の世界記録2時間6分56秒に挑戦する。といってもその時間内「走り続けられるか、どれだけ走れるか」というもの。KBCより約19km離れた地点をスタートする百田。リスナーの声援を受けて走る彼は時間内にスタジオへ戻れるか?
受賞歴
日本民間放送連盟賞(第43回・優秀・生ワイド番組部門)

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NHKに保存されている録音で戦後の50年を振り返る番組。進行役は相川浩アナウンサー。(1995年4月~1996年3月放送)◆この回は特集「家中がラジオで笑った時代」。「ホントにホント」や「面白ゼミナール」などのクイズ番組の放送作家として活躍している井上頌一さんをゲストに迎え、家中がラジオで笑った時代、戦後の茶の間で人気を集めたクイズ番組にスポットを当てる。◆昭和22年にスタートした「二十の扉」は出題する問題を一般から募集していたが、一日に2万通もの今では考えられないような応募があったという。放送史上最初のクイズ番組は、昭和21年に始まった「話の泉」であるが、この番組は正解が一つとは限らない手法や解答者のキャラクターが存分に出るなど、クイズ番組としての魅力を十分に持っていた。出題問題を一般から募集していたため、聴取者参加型番組としても人気を博した。ラジオは全国の人々の娯楽、楽しみを一元化していった。◆このようなクイズ番組がアメリカの放送番組の日本版であったのに対し、純日本版といわれるのが「とんち教室」であった。日本には昔からトンチやなぞなぞといった遊びに伝統があり、この番組もクイズ番組と同様大変人気があった。◆こうした番組をじっくりと聞いた井上さんは、昔のクイズ番組のすばらしさを痛感するとともに、これからは基本的で正確な知識を話題にするクイズ番組が誕生しても良いのではないかと話す。


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