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ニュース映画

大毎ニュース 689 新幹線スタート

番組ID
N01872
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上映日
1964年10月07日(水)
時間(秒)
214
カテゴリ
科学・技術・産業
概要
東海道新幹線営業開始の1964年10月1日午前6時、石田礼助総裁がテープを切り、ひかり1号は東京駅19番ホームをスタート。大田区馬込の陸橋は貨物線の真上を新幹線が走る2階建ての高架線。その間を第2京浜国道が交差し、将来地下鉄が通れば4重の立体交差になる。最高時速210キロ、世界一の快速列車が走る東京・新大阪間515キロは一本のレールでつながれ全線が立体交差。のべ68.2キロのトンネル工事には半断面工法の新方式を採用。16年かかった旧丹那に比べ新丹那トンネルは4年4ヶ月で開通した。沼津・富士川間の湿地帯、浮島ケ原では地下50メートルまでパイプを打ち込むなど一番の難工事。また鉄橋工事に新機軸を開いた。総工費3800億円、着工以来5年半の短期間で完成した日本の大動脈を4時間で走り抜けるひかり一号。

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大毎ニュース 674 特集 新潟地震

1964年6月16日午後1時2分、東日本を襲った大地震は震源地に近い新潟市で震度5を記録。5日前まで国体で賑わっていた新潟市は5分間のうちに崩れ落ちた。堤防は決壊し逆流した信濃川はゼロメートル地帯に浸水、昭和石油のタンクも燃え上がった。市民は着の身着のままで逃げるのが精一杯、弱い地盤の上にたつ新潟市は全市の3分の1が傾き、砂上都市の脆さを見せつけた。家を追われ橋のたもとに野宿する人々に、水も電気もない夕闇が忍び寄る。かろうじて避難所にたどり着いた人々は、余震におびえながら恐怖の一夜を過ごした。一夜明けて火は勢いを増し12基の石油タンクが次々と引火爆発、40万キロリットルもの石油が一度に炎上した。1台しかない市の化学消防車では手のつけようもなく、隣の新工場のタンクに燃え移った。化学消火剤の応援を求められた立川基地では日米合同で空から消火弾の投下作戦を開始。東京などからかけつけた化学消防隊も必死の消火作業にあたった。3日目に入ってようやく本格的な復旧作業が始まった。自衛隊は6千人を越す隊員を市内に動員、信濃川作戦と名付け、人海戦術で土のう作りを展開。一方土砂に埋まった道路や地割れの補修も急ピッチに進み、市民も復旧に立ち上がった。懸念されていた伝染病の流行もなく、水道の破壊された全市に渡って給水班が出動、水に悩む市民は生気を取り戻した。各地からの救援物資も続々と市内に送り込まれて来た。今度の災害を重視した政府は、福田篤泰防衛庁長官、河野一郎非常災害対策本部長らを現地に派遣、復旧に本腰を入れている。21日には池田勇人首相も自ら新潟に乗り込んだ。被害のひどかった信濃川河口付近では船上から生々しい地震の爪跡を視察、復旧にあたる市民や自衛隊員に激励をおくった。街角では早くも店が開き、物価の値上がりもなく、落ち着いた表情がうかがわれる。完全復旧には5年かかると言われる被災地・新潟は、こうして復興への第一歩を踏み出した。


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