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ニュース映画

毎日世界ニュース 395 映画使節団西独へ

番組ID
N00722
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
上映日
1959年03月04日(水)
時間(秒)
37
カテゴリ
文化・芸術
概要
西独ミュンヘンで開かれる日本映画見本市に、振袖使節団として大映の若尾文子さんら日本映画六社(松竹、東宝、大映、東映、日活、新東宝)代表のスターたちが、1959年3月1日、羽田空港から盛大に見送られて旅立った。(週間話題)

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毎日世界ニュース 401 慶祝協奏曲

1959年4月10日、晴れやかに「結婚の儀」を終えられた皇太子殿下と美智子妃殿下は、6頭立4頭引きの儀装馬車に乗って皇居をご出発。華やかなパレードに移った。沿道の人々の歓呼にこたえながら東宮仮御所にお着きになったお二人は、やっとくつろいだ新婚第一夜をお迎えになった。この日各地ではお二人にあやかって空前の結婚ラッシュ。京都では御所の前で26組が一度にゴールインすれば、東京でも皇太子さまにつづけと3組が仲良く誕生、皇太子殿下万歳を三唱した。記念撮影もあとがつかえている結婚ブーム。東京駅では、新婚列車「ちよだ号」が満員の花嫁花婿を乗せて、ハネムーンの旅にスタートした。夜は東宮仮御所に地元の人々がお祝いの提灯行列。お二人の幸せを祈る提灯の波は夜の更けるまで続いた。群馬県の沼田市では70組の男女が参加して慶祝テニス大会が開かれ、桜咲くテニスコートにロマンスの花を咲かせた。一方、正田家の郷里館林はまるで感激と興奮のルツボ。パレードを繰り出して市始まって以来のお祭り騒ぎに沸き立った。東京でもイルミネーションに輝く花電車が夜の銀座を彩り、国立競技場では6万の人を集めて「お祝いの夕べ」が行なわれ、奉祝気分は最高潮に達した。越えて12日、皇居ではお二人の結婚を祝う内宴が催され、天皇ご一家は美しい振袖姿の美智子妃殿下を囲んで、なごやかなひと時を過ごされた。そして13日から3日間にわたって、ご結婚披露の宮中祝宴が、内外の名士を招待して仮宮殿北の間で華やかに開かれた。


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毎日世界ニュース 423 安保改定を前に 勤評から西尾問題まで

1959年9月8日、日教組(日本教職員組合)は勤評(勤務評定)反対の統一行動を全国に展開。東京では文部大臣に会見を求めたが門を閉ざして面会謝絶。安保条約改定阻止と勤評反対闘争は表裏一体だと気勢を上げたが、教育委員会との団体交渉も物別れとなって、泥沼から一歩もはいあがれない。同じ日、基地砂川町では安保改定阻止の中央大会が開かれ、米軍の駐留は憲法違反であるという東京地裁の判決を支持するデモが、夜の更けるまで続いた。1959年9月9日、ダレス長官の追悼式には吉田茂元首相をはじめ、岸信介総理、マッカーサー米大使ら多数が参列して、安保条約の生みの親ダレス氏を偲んだ。8年前のこの日、サンフランシスコにおいて講和条約および安保条約が調印されたのである。この抱合わせの両条約をめぐって、社会党は講和条約賛成、安保条約反対の立場をとる右派と、両条約に反対する左派が激しく衝突、ついに分裂の憂き目を見るに至った。あれから8年、社会党青年部大会は、議場混乱のうちに西尾末広氏の除名を絶対多数で決議した。こうした中で1959年9月12日、第16回社会党大会を迎えたが、安保闘争に対する西尾氏の言動が党紀に反すると詰め寄る左派と、受けて立つ右派が真向から対立して、冒頭から荒れ模様。大会運営委員会では、決議案をめぐってつかみ合いをする騒ぎ。結果は「西尾氏を統制委員会に付議する決議案」を大会に上程することになった。西尾氏の弁明と、河上丈太郎氏の決議案反対表明に続いて投票に入り、決議案は可決された。こうして社会党は西尾氏の去就をめぐって、統一以来最大の危機を迎えた。


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毎日世界ニュース 418 松川事件裁判やり直し

昭和24年(1949年)8月17日午前3時9分、東北線上り旅客列車が突然脱線転覆。乗務員3名を死亡させた松川事件も、あれから丁度10年。1959年8月10日は最高裁の判決の日。無罪要求の行進が被告たちを先頭に続々と東京に入って来る。この日最高裁は異例の警戒ぶり、乗り込んで来た右翼が押し返され、一方では労働組合員たちも警官に阻止されて近づけず、遠くで公正裁判を要求。こうした騒ぎをよそに午前9時過ぎ、南門から傍聴人が静かに入廷。そのあと被告が続いて入る。やがて田中耕太郎最高裁長官も出廷して、午前10時3分、松川事件上告審の判決が下された。「原判決を破棄し、本件を仙台高裁に差し戻す」。裁判はまったくのやり直し。長い間ペンで共に闘ってきた作家広津和郎氏の感慨はひとしお。2審で死刑だった被告は「無罪でないのが残念だ」ともらせば、田中長官は「良心に従う裁判とは、どちらにも気兼ねなしにすることだ」と語る。しかし、さすがに10年ぶりに取り戻した被告たちの喜びは大きく、「松川公判を聞く会」に集まった数千人の労働組合員から、家族と共に祝福を受ける。無罪への明るい見通しに、歓呼の声は夜の街にいつまでもこだました。


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