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ニュース映画

毎日世界ニュース 384 回顧 1958年

番組ID
N00686
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上映日
1958年12月22日(月)
時間(秒)
544
カテゴリ
社会
概要
風薫る1958年5月。参加20ヵ国、1700余名のアジアの若人を集めて、第3回アジア競技大会が開かれた。6月には岸信介、佐藤栄作兄弟内閣が成立。長崎での中共(中華人民共和国)国旗引降し事件に端を発し、日中友好の絆は断ち切られてしまった。8月、中共軍の金門島砲撃は日増しに激しさを加え、アジアの平和に暗い影を投げかけた。中東ではアラブ連合共和国が誕生、フランス領アルジェリアでは居留民が暴動を引き起こし、ドゴール将軍の出馬となった。イラクに上がったクーデターの火の手は、アメリカ、イギリス両国の出兵となり、民族独立の嵐と、これをめぐる東西両陣営の対立は世界の注目を浴びた。8月半ば、誘導弾エリコン荷揚げはとんだ騒動となった。1958年はまた警察官の在り方がいろいろと話題を呼んだ年であった。暴力追放で大いに面目を保った反面、本州製紙汚水事件など暴行事件が目立った。勤務評定の実施にあくまで強気の文部省は、先生たちをストライキにまで追い詰め、子供たちも保護者たちも、この一年、この争いに巻き込まれてしまった。お巡りさんのものものしい護衛つきで開かれた肩透かし道徳講習会も、激しい反対を受けた。特に、奈良では会場に泊り込みの校長先生にデモ隊が押し寄せたり、糧道を絶ったり大変な講習会であった。こうした情勢の中で国会にまかり出た警官職務法(警察官職務執行法)は、盛り上がった世論の前に自滅の途を辿った。政府自民党は、議会史上例の無い抜打ち本会議を強行、軌道を踏み外した国会は開店休業の状態となった。そのトバッチリを受けて、台風22号の犠牲となった水害地伊豆は、未だ復興の目安もつかない。1958年11月22日、岸信介、鈴木茂三郎両党首の会談でようやく国会正常化へ踏み出した。一方、ユニオンショップ制をめぐって長期化した北海道の王子製紙ストも、145日ぶりに解決し、師走の苫小牧の町に久しぶりに明るい笑顔が蘇った。そして秋晴れの11月27日、国民待望の皇太子さまの御婚約が発表された。テニスで結ばれたお二人だけに、ぴったり息の合った幸福な家庭を築かれることであろう。しかし、あまりにも問題の多かった1958年。今、明るい夢と、希望をかけて新しい年を迎えようとしている。

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1958年9月26日、観測史上最大といわれた台風22号は、風速25mを超える暴風雨を伴って関東南部に上陸した。この台風は各地に予想外の出水をもたらし、特に東京都内では、気象庁始まって以来の400ミリという降雨量を記録、都内各所に崖崩れが起こり、多くの人命が失われた。皇居の石垣も赤土の地肌を見せるなど大きな被害を被った。また、鶴見川の氾濫で東海道線が不通になり、国鉄のダイヤも未曾有の混乱をきたした。この台風のさなか伊豆半島を流れる狩野川は10ヵ所にわたって決壊、流域10ヵ町村は濁流に呑まれ、伊豆の湯の町は一夜のうちに廃虚と化し、河口の大場町は見渡すかぎり流失家屋の残骸で埋まっている。死者行方不明は千三百人を超え、昨年夏の九州諫早を上回る惨事とみられている。交通の途絶えた現地には、ヘリコプターによって救援物資が届けられ、わずかながらも復旧の希望が取り戻された。山間に閉じ込められていた湯治客も、ようやく帰れる目鼻がついたが、このたびの台風による全国の被害は、罹災者およそ53万、田畑の冠水7万2千町歩(約71405ヘクタール)、速やかな復興が切に望まれる。


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