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ニュース映画

毎日世界ニュース 350 いつまでもめる!勤務評定

番組ID
N00562
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
上映日
1958年04月30日(水)
時間(秒)
111
カテゴリ
社会
概要
1958年4月23日、勤務評定の実施を阻止しようと、東京都の教職員組合は一斉休暇を行って、大挙して都の教育庁をとりまいたが、この騒ぎの中で、都教育委員会は勤務評定即時実施を決定した。この日、先生のいない学校ではPTAが出動したところもある。辛い立場の校長先生は生徒の呼び込みに苦労している。小林武日教組(日本教職員組合)委員長が勤務評定反対の理由を述べれば、松永東文相はその必要を説くといった有様。一方、26日、警視庁は日教組本部などを一斉に家宅捜索した。子どもたちのために、勤務評定をめぐる文部省と日教組の争いは、一日も早く解決して欲しいものである。

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毎日世界ニュース 381 特集 おめでとう皇太子さま

1958年11月28日、婚約発表後初めて皇太子さまを訪問される正田美智子さんの車を囲んで、東宮仮御所の前は大変な人波である。11歳の時(1945年)終戦を迎えられた皇太子さまは、バイニング夫人から民主教育を受けられる一方、スキーに、乗馬に逞しい成長を遂げられた。昭和27年(1952年)には皇居仮御殿で晴れの成人式(加冠の儀)、翌28年(1953年)には天皇陛下の御名代として、エリザベス女王の戴冠式に列席され、半年にわたる外遊生活で海外の事情にも親しく目を注がれた。帰国後も学習院大学の聴講生として、勉学に努められるかたわら、数々の御旅行や一般の社交のうちに、社会人としての教養を身につけられた。こうして華やかな青春を送られる皇太子さまをめぐって、ようやくお妃の噂が立ちはじめ、1958年の秋には皇太子さまの意中の人として、正田美智子さんの名が浮かび出てきた。世間の噂のさなか、一人外遊を終えて羽田に降り立つ美智子さん、買物先にもカメラがつきまとい、一時は家の門から行く先々へ追い回されるなど、大変な騒がれようだった。こうして1958年11月27日、晴れの発表を待って、正田家の出身地群馬県館林市は、町をあげてお祭り騒ぎに沸き立った。テレビを見て喜ぶ美智子さんの小学校友だち。夜空を彩る提灯行列。この日、日本中が若いお二人の幸福を慶んだのであった。


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