テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

videocam
ニュース映画

毎日世界ニュース 348 両陛下九州の旅

番組ID
N00550
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
上映日
1958年04月16日(水)
時間(秒)
95
カテゴリ
地域
概要
九州を御巡幸中の天皇・皇后両陛下は、1958年4月8日別府市志高高原の植樹祭に臨まれ、その後も温泉熱利用農業研究所や、高崎山の自然動物園を見物されるなど、熱烈な歓迎のうちにくつろいだ御旅行を続けられた。

同じ年代の公開番組

毎日世界ニュース 381 特集 おめでとう皇太子さま

1958年11月28日、婚約発表後初めて皇太子さまを訪問される正田美智子さんの車を囲んで、東宮仮御所の前は大変な人波である。11歳の時(1945年)終戦を迎えられた皇太子さまは、バイニング夫人から民主教育を受けられる一方、スキーに、乗馬に逞しい成長を遂げられた。昭和27年(1952年)には皇居仮御殿で晴れの成人式(加冠の儀)、翌28年(1953年)には天皇陛下の御名代として、エリザベス女王の戴冠式に列席され、半年にわたる外遊生活で海外の事情にも親しく目を注がれた。帰国後も学習院大学の聴講生として、勉学に努められるかたわら、数々の御旅行や一般の社交のうちに、社会人としての教養を身につけられた。こうして華やかな青春を送られる皇太子さまをめぐって、ようやくお妃の噂が立ちはじめ、1958年の秋には皇太子さまの意中の人として、正田美智子さんの名が浮かび出てきた。世間の噂のさなか、一人外遊を終えて羽田に降り立つ美智子さん、買物先にもカメラがつきまとい、一時は家の門から行く先々へ追い回されるなど、大変な騒がれようだった。こうして1958年11月27日、晴れの発表を待って、正田家の出身地群馬県館林市は、町をあげてお祭り騒ぎに沸き立った。テレビを見て喜ぶ美智子さんの小学校友だち。夜空を彩る提灯行列。この日、日本中が若いお二人の幸福を慶んだのであった。


videocamニュース映画
毎日世界ニュース 384 回顧 1958年

風薫る1958年5月。参加20ヵ国、1700余名のアジアの若人を集めて、第3回アジア競技大会が開かれた。6月には岸信介、佐藤栄作兄弟内閣が成立。長崎での中共(中華人民共和国)国旗引降し事件に端を発し、日中友好の絆は断ち切られてしまった。8月、中共軍の金門島砲撃は日増しに激しさを加え、アジアの平和に暗い影を投げかけた。中東ではアラブ連合共和国が誕生、フランス領アルジェリアでは居留民が暴動を引き起こし、ドゴール将軍の出馬となった。イラクに上がったクーデターの火の手は、アメリカ、イギリス両国の出兵となり、民族独立の嵐と、これをめぐる東西両陣営の対立は世界の注目を浴びた。8月半ば、誘導弾エリコン荷揚げはとんだ騒動となった。1958年はまた警察官の在り方がいろいろと話題を呼んだ年であった。暴力追放で大いに面目を保った反面、本州製紙汚水事件など暴行事件が目立った。勤務評定の実施にあくまで強気の文部省は、先生たちをストライキにまで追い詰め、子供たちも保護者たちも、この一年、この争いに巻き込まれてしまった。お巡りさんのものものしい護衛つきで開かれた肩透かし道徳講習会も、激しい反対を受けた。特に、奈良では会場に泊り込みの校長先生にデモ隊が押し寄せたり、糧道を絶ったり大変な講習会であった。こうした情勢の中で国会にまかり出た警官職務法(警察官職務執行法)は、盛り上がった世論の前に自滅の途を辿った。政府自民党は、議会史上例の無い抜打ち本会議を強行、軌道を踏み外した国会は開店休業の状態となった。そのトバッチリを受けて、台風22号の犠牲となった水害地伊豆は、未だ復興の目安もつかない。1958年11月22日、岸信介、鈴木茂三郎両党首の会談でようやく国会正常化へ踏み出した。一方、ユニオンショップ制をめぐって長期化した北海道の王子製紙ストも、145日ぶりに解決し、師走の苫小牧の町に久しぶりに明るい笑顔が蘇った。そして秋晴れの11月27日、国民待望の皇太子さまの御婚約が発表された。テニスで結ばれたお二人だけに、ぴったり息の合った幸福な家庭を築かれることであろう。しかし、あまりにも問題の多かった1958年。今、明るい夢と、希望をかけて新しい年を迎えようとしている。


videocamニュース映画