テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

愛媛力特別番組 よみがえれ黄色いダイヤ

番組ID
209506
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2014年05月27日(火)02:40~03:25
時間(分)
42
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
南海放送(RNB)
製作者
南海放送(RNB)
制作社
南海放送(RNB)
出演者
ナレーター:松岡宏忠、ナレーター:清家夕貴
スタッフ
撮影:松本匡史、撮影:玉井克典、ディレクター:荻山雄一、プロデューサー:三谷隆司
概要
かつて「黄色いダイヤ」と呼ばれた愛媛ミカン。活況を呈していた時代は過ぎ去り、生産量の減少や後継者不足、国内市場の縮小など様々な課題を抱えている。この局面を打開して未来への扉を開こうと、新品種の開発や海外市場への売込みが始まっている。愛媛のミカンは海外で受け入れられるのか、「黄色いダイヤ」復活に向けた取り組みを追った。南海放送開局60周年「愛媛力」プロジェクト。

同じ年代の公開番組

よみがえれ銀鱗躍る川 ―サケふ化事業の復興元年―

本州一の水揚げを誇る岩手の秋サケ漁が最盛期を迎えた。しかし2014年は東日本大震災の影響が心配されていた。サケは主に3年から5年で放流された川に戻る。2011年の震災ではふ化場が大きな被害を受け、多くの卵と稚魚が死滅してしまったからだ。釜石市の唐丹漁協は国の補助を待たず、施設の復旧を進めた。一方、岩手県水産技術センターは、2014年に帰ってくるサケの数を、最悪の場合、前年の半分以下と予測した。◆サケは震災前から回帰数が減少していた。海水温の上昇が原因の一つと指摘されている。唐丹漁協のふ化責任者・尾形信一さんは、不安を抱きながらサケが遡上する川を見つめる。隣接する大槌町の新おおつち漁協も、採卵用のメスのサケを飼育プールで育てるなどの工夫をしていた。サケは岩手の水産の屋台骨なのだ。◆そして12月、唐丹町の片岸川にサケは帰ってきた。採卵の目標数も確保できた。尾形さんは「予測の120%」と喜ぶ。前年、8割を占めていた4歳魚は5%ほどに激減し、やはり震災の影響は出ていた。しかし、5歳魚が8割を占めていた。確実な理由は分からないが、震災の前の年に大海原に放たれた稚魚は多くが生き残り、ふるさとの川に帰ってきたのだ。◆もちろん心配な状況は続く。尾形さんは「ここで仕事があって家族がいる、(サケのふ化事業は)生活の基盤」と、先人から引き継いだ地域の産業を守り、受け継いでいく決意をした。東日本大震災報道特別番組「忘れない3.11」。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
ヒロシマを遺した男 ~原爆資料館 誕生秘話~

年間140万人が訪れる広島市の原爆資料館(広島平和記念資料館)。無残にも奪われた魂の叫びを国内外に伝え続けてきた。その原爆資料館が一人の男の信念によって生まれたことを知る人は、今となってはほとんどいない。◆広島文理科大学(現・広島大学)で地質鉱物学を指導していた長岡省吾さん。原爆投下の翌日、広島市内に入り、腰かけた石灯ろうが剣山のようにとがっていることに驚いた。「特殊な爆弾」だと直感した彼は、その後、焼け野原を歩き、焼けただれた石や瓦、ビンなどをひたすら集める続けるようになった。自宅はそんな「ガラクタ」でいっぱいだった。長岡さんは集めた石や瓦を公民館の一室で展示し始めた。生き残った者の使命として、「あの瞬間」に何があったのか伝えなければならない。そこには強い信念があった。◆被爆10年後、その信念が原爆資料館を生んだ。長岡さんは初代館長に就任することとなった。今では長岡さんについての資料はほとんど残っていない。番組では、わずかな手がかりをもとに国内外に当時を知る人々を訪ね歩き、長岡省吾さんの軌跡を追った。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
WATCH 真相に迫る 命守る遮断機を ~なぜ踏切事故は繰り返されるのか~

広島市安佐北区の無蓮地第2踏切で、車と列車が衝突し2人が亡くなった。現場は警報機も遮断機もない「第4種踏切」だった。約40年前にもバイクの女性が死亡しており、地元住民は警報機の設置を訴え続けていた。しかし、設置は現在も実現しておらず、住民は悔しさをにじませる。国は事故リスクの高い踏切をなくしたい方針だが、依然、広島県だけでも踏切が約930か所あり、うち1割強が第4種踏切だ。遮断機の設置には3000万円ほどかかるといい、鉄道事業者にはコストの問題がのしかかる。◆長野県では2008年に遮断機のない踏切で、中1男子が列車にはねられ死亡した。母親は遮断機があれば息子の命は助かったとして、JR東日本を相手取り、裁判を起こしている。だが「十分に安全確認せず、踏切を渡った人が悪い」そんな世間の偏見に苦しむ。踏切遺族の会の代表、加山圭子さんは、2005年東京都の踏切で母を亡くした。以来、事故根絶を目指して精力的に活動。事故が起きた全国各地の踏切に出向き、過去に死亡事故が起きた東広島市の踏切も視察した。国交省では、原則5人以上が死亡しないと運輸安全委員会を設置しない。現在は国交省へ「事故の調査対象を緩めるよう」求めている。◆再び悲劇が起きた無連地第2踏切。JRや行政の対策は果たして十分なのか。専門家の意見も踏まえながら、踏切の安全対策のあり方を考える。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組