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テレビ番組

どーんと鹿児島 故郷いまだ遠く ~星塚敬愛園は今~

番組ID
206781
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放送日時
2011年05月25日(水)19:00~19:54
時間(分)
46
ジャンル
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ドキュメンタリー
放送局
南日本放送(MBC)
製作者
南日本放送(MBC)
制作社
南日本放送(MBC)
出演者
スタッフ
撮影:内村廣行、VE:江平美幸、美術:坂口博、ディレクター:山下浩一郎、プロデューサー:田上憲一郎、プロデューサー:諏訪園真人
概要
90年に及ぶ塗炭の苦しみの歴史に終止符を打った、ハンセン病国賠訴訟。その勝訴判決から、2011年5月で10年が経つ。かつてのハンセン病療養所「星塚敬愛園」の入所者は次々と世を去り、いま当時の半分の200人ほどになってしまった。空き家の取り壊しが進んでいる。平均年齢82歳。元患者たちは、いまどのような生活を送っているのか。そして、どう人生の幕を降ろそうとしているのだろうか。番組では、裁判の原告として最初に立ちあがった3人を軸に、療養所の今とハンセン病問題が残したものを伝える。◆小説家だった故・島比呂志さん。1999年に支援者を頼り、80歳を超えた体に鞭打ち、北九州市に社会復帰した。そして「血のつながりのない家族」と人としての幸せを刻んで、2003年に亡くなった。弟妹との絆は断たれ、故郷・香川県には生きて帰れなかった。そして、7年の歳月が流れた2010年、母校から便りが届いた。◆上野正子さん(84歳)は、夫の清さんと裁判に立ちあがった。苦労を共にした夫は、4年前に他界。遺骨は、園の中にある納骨堂に納められた。社会に出ることを夢見た正子さんだったが、死んだら夫と同じ納骨堂に入ることを決めた。◆玉城シゲさん、92歳。わが子を強制堕胎させられ、ホルマリン漬けにさせられた過去を持つ。上野正子さんとともに、ハンセン病の歴史の語り部として講演活動を続けている。そして「国には死んでまで世話にならない」と言う。そのために、玉城さんは決めていることがある。◆老いと死を見つめる元患者達。その人生の「最期」の選択。療養所の看護婦が言う「現実の社会の方が厳しい。在園者や看護師たちが見送るここには、孤独死はありません」。療養所での隔離生活からの開放を目指した10年前。その当時の熱気とは違う、矛盾をはらんだ静かな現実がある。消してはならぬ負の記憶と、星塚の「いま」が問いかけるものを見つめる。

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10本以上もの映画を作ってきた映像作家・今村彩子。彼女は生まれつき耳が聞こえないろう者。小さい頃からろう学校でなく、一般の公立学校に通っていた。だがやはり言葉で伝えられないというフラストレーションが募り、一時は自宅にひきこもってしまう時期もあったという。そんな時、父親が借りてきてくれた映画「ET」をみて、言葉ではなく心で通じ合うストーリーに感動。映画を作ってみたいという情熱を持った。◆大学時代に海外留学し、本格的に映像を学び始めた今村さんは、卒業後、ろうの人たちの現状や社会に対しての不満を映画として表現し始める。このときの原動力は「怒り」だった。しかし、その怒りを映像という形で伝えようとする一方で、彼女自身は健常者に対して自分から壁を作り、コミュニケーションをとることに消極的だった。◆そんなある時、今村さんは一人の男性と出会った。サーファーショップを経営する太田さん。ろうである彼は積極的に健常者と交流しあい、話せる話せないに関係なく皆を笑顔に変えていく。自分とはあまりに違う彼に大きな衝撃を受けた今村さんは、太田さんを映画に撮ることにした。◆太田さんのお店では、身振り手振り、筆談、ジェスチャーなど、言葉だけではないコミュニケーションで常に賑わっている。そこにあるのは「相手に伝えたい」という気持ち。社会に対しての怒りを映画を作る原動力にしてきた今村さんの心にも、変化が芽生えていった。そして、映画を撮影していく内に東日本大震災が起こる。被災地のろうの人たちが伝えられない不安な思いを自分が伝えてあげたいと、今村さんは被災地に飛ぶ。そこでも彼女の心に大きな変化が…。◆コミュニケーションの基本である「伝える」ということの大切さを、一人の女性の心の成長を描きながら訴えるドキュメンタリー。


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