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テレビ番組

めざましテレビ公認 わがまま!気まま!旅気分 祝!10周年 春爛漫のしまなみ海道を行く

番組ID
204997
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放送日時
2009年04月25日(土)13:00~14:25
時間(分)
71
ジャンル
groups
芸能・バラエティー
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ドキュメンタリー
放送局
テレビ愛媛(EBC)
製作者
テレビ愛媛(EBC)
制作社
テレビ愛媛(EBC)、EBCプロダクション
出演者
橋本利恵天野陽子、ナレーション:堀本直克
スタッフ
撮影:岡田健太郎、音声:山崎伸一、音声:西村一輝、MA:山本正志、音響効果:百済伸晃、音響効果:植田靖央、CG:鳥越優子、編集:渡部伸之、総合演出:渡部伸之、プロデューサー:別府聡、プロデューサー:高橋良暢
概要
2009年5月で開通10周年を迎える「しまなみ海道」。愛媛県今治市から広島県尾道市、さらに少し足を延ばして福山市まで、春の瀬戸内しまなみを旅する。案内人はテレビ愛媛・橋本利恵とテレビ新広島・天野陽子の両アナウンサー。◆今治市・有名な焼鳥の名店、タオル美術館、大島・亀老山展望公園、来島海峡の急流観潮船、大三島・大山祗神社、しあわせの鐘、生口島・しおまち商店街、平山郁夫美術館、因島・白滝山の羅漢さん、はっさく大福、尾道・元祖の味付ちりめん、おのみち映画資料館、福山市・鞆の浦、みろくの里などを紹介。

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映像’09 DNA鑑定の呪縛

2009年5月8日、1990年に栃木県足利市で起こった女児誘拐・殺害事件、いわゆる「足利事件」をめぐり、殺人罪などで無期懲役が確定している菅家利和さんが裁判のやり直しを求めた再審請求の即時抗告審で、DNAの再鑑定の結果、DNA型が一致しなかったことが明らかとなった。これにより、菅家さんの再審が開始される可能性が高くなった。◆足利事件は、1990年5月、栃木県足利市で4歳の女の子が誘拐・殺害された事件で、1年7ヵ月後、いわゆるローラー作戦で菅家さんが逮捕された。決め手になったのは、女児の着衣に付着していた体液のDNA鑑定だった。同様のDNA鑑定が決め手になった事件に、1992年2月、福岡県飯塚市で小学1年生の女の子2人が誘拐され、殺害された「飯塚事件」がある。この事件でもDNA鑑定が決め手となり、2年7ヵ月後に1人の男性が逮捕された。両事件ともに、無実を訴えて最高裁まで争ったものの、「足利事件」の菅家さんは無期懲役、「飯塚事件」の久間三千年さんは死刑判決となった。その後、2人は獄中からも無実を訴え続けた。しかし、2008年10月28日、「飯塚事件」の久間さんは福岡拘置所で死刑を執行された。◆DNA型鑑定とは、細胞核の中の染色体にあるDNA(デオキシリボ核酸)を構成している4種類の塩基(アデニン、グアニン、チミン、シトシン)の配列の特徴によって、個人を分類ないし識別するものである。日本の警察によるDNA型鑑定は、警察庁科学警察研究所(科警研)が1989年に導入した。しかし、この鑑定法には実は重大な欠陥があった。◆DNA鑑定という言葉が始めて登場したとき、ある新聞は「100万人から1人を識別する」と書いたほどだった。現在の鑑定技術なら、大げさな表現とは言えないが、当時の鑑定の精度からはとてもありえないことだ。しかし、DNA鑑定は過大に評価され、検察官、裁判官、時には弁護士ですらもその言葉の呪縛から逃れられなかった。そんななかで、冤罪を叫ぶ死刑囚の死刑が執行された。今、遺族と弁護団は「無辜の人間を国家が殺害した」と、死後の再審請求の準備を始めた。亡くなった久間さんの名誉を回復するために。◆番組では、犯人特定の証拠として有効視されてきた導入当時のDNA型鑑定法の欠陥をわかりやすく解説し、2つの事件から冤罪の構図に迫ってゆく。


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