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テレビ番組

ドキュメント発見伝 特攻教官のレクイエム ~亡き教え子に捧げる86歳の奏で~

番組ID
201471
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2008年01月14日(月)15:00~15:54
時間(分)
48
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
テレビ長崎(KTN)
製作者
テレビ長崎(KTN)
制作社
テレビ長崎(KTN)、テレビ西日本(TNC)、KTNソサエティ
出演者
語り:清水輝子
スタッフ
プロデューサー:山本正興、プロデューサー:馬場明子、ディレクター:大石久貴、撮影:井上康裕、編集:井上康裕、撮影:矢竹亮、録音:山口洋平、整音:新甫宙、美術:森田智哉、美術:茂田恵
概要
太平洋戦争末期、長崎県川棚町には特攻の訓練所があり、多くの若者がここから戦地へと向かった。行われていた訓練は、ベニア板でできた小さな船で敵艦にぶつかるという、特攻艇「震洋」の極秘訓練。震洋は終戦までに6200隻がつくられ、ここで訓練を受けた若者3500人の尊い命がはかなく散っていった。◆西村金造さんはこの訓練所で教官をしていた。西村さんは学徒動員で海軍に入り、二十歳を過ぎたころ教官となった。そして多くの教え子を失った西村さんは、特攻を教えていた自分に罪深さを感じて続けている。◆80歳を過ぎてピアノを始めた西村さん。鍵盤に向い、長年抱き続けた思いを亡き教え子へ語りかける。
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