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テレビ番組

すばらしい世界旅行 10周年記念 山ゴリラの謎 離れゴリラ9頭をさらう

番組ID
013102
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放送日時
1976年12月19日(日)19:30~20:00
時間(分)
26
ジャンル
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ドキュメンタリー
放送局
日本テレビ放送網(NTV)
製作者
日本映像記録センター
制作社
日本テレビ放送網(NTV)、日本映像記録センター
出演者
語り:久米明、報告:杉山忠夫
スタッフ
制作:牛山純一、演出:杉山忠夫、撮影:梶浦甚三郎、編集:佐藤幸一、音声:木村哲人、音響:森拓治
概要
 世界中の人々の暮らしぶりや自然を紹介する、海外取材ドキュメンタリーシリーズ。全米写真家協会プロフェッショナル最高賞を受賞し、国際的にも評価された。(1966年10月9日~1990年9月16日、全1000回)◆ザイール東部のカフジ・ビエガ国立公園には三百頭以上、二十数家族以上のマウンテン・ゴリラが生息している。取材班は、若いボスゴリラ、マヘシエの率いる9頭のグループを追跡した。ところがある日、離れゴリラの一群と出会い、マヘシエは9頭の家族全員を奪われてしまった。取材班は、この9頭の行方を追う。ある日、10頭のゴリラの家族の寝床の跡を発見、その後を追う。だが、ボスゴリラが大咆哮をあげて襲いかかってきた。
受賞歴
ギャラクシー賞(制定20周年記念特別賞(シリーズに対し))、ATP賞(第2回、長寿番組賞(シリーズに対し))

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札幌オリンピックのスキージャンプ競技の金メダリスト、笠谷幸生。笠谷の幼少時代からこれまでの功績やオフシーズンに洋酒メーカーの営業として働く姿、最後のオリンピックへ向けたトレーニング、そして引退への心境を描く。◆笠谷は北海道余市郡出身。8歳上の兄のスキージャンプを小さいころから見続けていた。その環境が笠谷をスキージャンプへと自然に導いていった。高校スキーの名門である余市高校に入学後、海外遠征にも出て行くようになり、1963(昭和38年)の全日本選手権で2位という成績を残す。1位は同時期全盛期を迎えていた日本初の100mジャンパーである菊地定夫選手。笠谷も菊地と並び日本を代表する選手となっていった。笠谷が初めてオリンピックに出場したのは、1964年オーストリアで開かれたインスブルック五輪。この大会で日本選手として最良の成績を残す。その後の世界の大会でも好成績を残し、世界の一流ジャンパーとなった笠谷は1972年の札幌五輪に向けて期待を集めて行った。そして札幌五輪で金メダルを獲得し、「日の丸飛行隊」と呼ばれることとなる。その後1976年のインスブルック五輪を最後に引退する。◆放送番組センター協賛番組


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