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テレビ番組

マチャアキ海をゆく ナマコのおなら

番組ID
001277
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放送日時
1976年12月05日(日)10:30~11:00
時間(分)
25
ジャンル
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ドキュメンタリー
放送局
テレビ東京
製作者
カイ・エンタープライズ
制作社
カイ・エンタープライズ、テレビ東京
出演者
ナレーター:堺正章
スタッフ
テーマ音楽:ダ・カーポ、編曲:島津秀雄、プロデューサー:田島昭、プロデューサー:庭野憲二、構成:金谷稔、構成:下山啓、撮影:益田一、撮影:後藤道夫、撮影:中村宏治、撮影:中野修三、撮影:田口哲、撮影:大津一美、選曲:染谷欣吾、編集:武田幹夫、監修:末広恭雄
概要
一見グロテスクなナマコ。このナマコをすみかにしているカクレウオがいる。このカクレウオは非常に弱い魚であることから、ナマコの肛門の中に住んで身を守り、ナマコの肛門の掃除をして、互いに助け合っている。海の生物のユーモラスな共生風景を扱った作品。
受賞歴
ギャラクシー賞(第14回選奨)

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白い栄光 ~あるスキージャンパーの青春~

札幌オリンピックのスキージャンプ競技の金メダリスト、笠谷幸生。笠谷の幼少時代からこれまでの功績やオフシーズンに洋酒メーカーの営業として働く姿、最後のオリンピックへ向けたトレーニング、そして引退への心境を描く。◆笠谷は北海道余市郡出身。8歳上の兄のスキージャンプを小さいころから見続けていた。その環境が笠谷をスキージャンプへと自然に導いていった。高校スキーの名門である余市高校に入学後、海外遠征にも出て行くようになり、1963(昭和38年)の全日本選手権で2位という成績を残す。1位は同時期全盛期を迎えていた日本初の100mジャンパーである菊地定夫選手。笠谷も菊地と並び日本を代表する選手となっていった。笠谷が初めてオリンピックに出場したのは、1964年オーストリアで開かれたインスブルック五輪。この大会で日本選手として最良の成績を残す。その後の世界の大会でも好成績を残し、世界の一流ジャンパーとなった笠谷は1972年の札幌五輪に向けて期待を集めて行った。そして札幌五輪で金メダルを獲得し、「日の丸飛行隊」と呼ばれることとなる。その後1976年のインスブルック五輪を最後に引退する。◆放送番組センター協賛番組


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