テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

吉村作治・鶴田真由の感動!古代文明 マヤの祈り

番組ID
016330
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2007年02月11日(日)14:00~15:24
時間(分)
72
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
school
教育・教養
放送局
RKB毎日放送
製作者
RKB毎日放送
制作社
RKB毎日放送
出演者
スタッフ
コーディネーター:松本眞吾、撮影:青木周作、撮影:森永浩二、撮影:本田和浩、音声:真武崇、照明:濱田嘉博、選曲:相賀弘光、題字:平山是仁、美術:森貴史、美術:西園綾乃、美術:山口真貴子、CG:土井秀文、CG:白河英伸、CG:魚住修二、編集:平山誠一、企画:西嶋真司、構成:西嶋真司、ディレクター:木塚正典、プロデューサー:渡辺耕史
概要
密林に栄え、密林に消えた神秘の文明・マヤの謎とインディヘナと呼ばれるマヤの末裔たちに出会うため、考古学者の吉村作治と女優・鶴田真由が、中米グアテマラのティカル遺跡とホンジュラスのコパン遺跡を訪ね、かつての壮大な栄華と現在に残る伝統の暮らしを紹介する。◆グアテマラ北部のティカル遺跡には、巨大な5基のピラミッド(神殿)と巨大住居跡など3000以上の建造物が点在する。紀元前200年頃から1000年以上にわたって栄えたマヤ文明有数の王朝都市だったティカルには、最盛期には5万を超える住人がいたと言われる。同じ時期に栄えたコパンは海抜600メートルの谷間にあり、数々の石碑や祭壇、ユニークな動物の彫像などが残っており、“高浮き彫り”というマヤ芸術最高の立体的な彫刻を生み出したことで知られている。これらの都市が9世紀に突然衰退してしまったのは何故なのか。◆マヤの末裔・インディヘナたちは、空に祈り、大地に感謝し、家族で力を合わせる、現代社会が忘れてしまった暮らしをいまも続けている。

同じ年代の公開番組

NNNドキュメント’07 鏡の中の夕張 ~マチを追いつめたもの~

高齢者率40%の夕張市。理容院に集うのは夕張の発展を支えてきた高齢者ばかり。市の財政破綻をきっかけに、自分たちの人生を振り返る。床屋の鏡に映しだされる自分の姿。元炭鉱マンは「夕張、食うバリ、坂ばかり、ドンとくれば死ぬばかり。上に逆らわなければ明日の仕事も生活もある。金を使うのが美徳だった」と振り返る。家賃も光熱費もタダ。企業丸抱えの炭鉱時代。その時代にしみついた生活ぶりが、いまも抜けない。水は出しっぱなし、デンキはつけっぱなし。破綻を体験して気づく。「破綻の原因は、我慢せずであったこと。依存は楽だった」。しかし、一度しみついた依存という中毒から抜け出せない。それは個人だけではなく、マチ全体の体質だった。いまだに家賃を払わない市民がいる。それを野放しにしてきた行政。インフラも企業が整備した夕張は、石炭の時代が終わると同時に企業が撤退。行政も市民も拠り所をなくした。財政破綻した市には病院がなくなり、図書館もなくなった。公園も公衆浴場もなくなった。「依存」がもたらした破綻の姿。それは夕張だけの問題だろうか。鏡には自分のどんな姿が映るのだろうか。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
SBCスペシャル 自分探しの旅 ~広域通信制 信濃むつみ高校の1年~

不登校や高校中退の生徒が増加傾向にある中、行き場を失った子どもたちに居場所を提供しどんな生徒をも受け入れようと、2003年、長野県松本市に広域通信制・信濃むつみ高校が開校した。4年目の2006年度には約400人が学んでいる。◆さまざまな経験をしてきた生徒に対して教師は、既存の価値観にとらわれず自らを表現し自立していく力をつけて欲しいと働きかける。生徒たちは通信制の特徴を生かした緩やかな枠組みの中で教師との信頼関係を築き、可能性を取り戻そうとしている。辛い過去を乗り越えて、ようやく手に入れることの出来た“高校生活”。しかしそこから先の卒業後の進路が大きな課題になっている側面もある。◆社会と関わることによって自ら考えるきっかけを与えようと、教頭の竹内忍さんは中国東北部への旅を企画。2006年度は8人の生徒が参加した。いじめが原因での不登校や、ひきこもりを経験してきた生徒たちは、日常とかけ離れた世界で視野を広げ、自分の心と向き合い、自らの歩む道を見出そうとしていく。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
キャッチあいスペシャル 80年 時代をこえた人形愛

「青い目の人形」は1927年、日本に住んでいた宣教師が帰国後に日本の子供たちと人形を通した交流を図ろうとアメリカ全土からボランティアなどで集めたお金で大量購入し、送られたものだ。その数はおよそ1万2千体。◆愛媛県松山市に住む女性が「青い目の人形」の歴史を紙芝居で伝えようと、30年以上前から学校や幼稚園、高齢者施設などを回っている。青い目の人形は、日米友好の証の「親善人形」であり「友情人形」だった。愛くるしい表情の人形たちは、それぞれにパスポートを持ち、はるばる海を渡ってきたのだ。◆しかし16年後の悲劇…太平洋戦争での反米感情の高まりにつれ、人形を焼いたり、槍で突いたりして壊したりする運動が広まった。当時、幼稚園で保育士として働いていた兵庫県在住の女性は、直接に人形処分を言い渡された。小学2年生だった愛媛県在住の女性は、青い目の人形のお礼として、日本からアメリカに贈られた答礼人形の美しさを今でも忘れずに覚えている。◆2007年。人形が日本に贈られて80年。番組では、時代の流れの中で生まれたさまざまなドラマ、そして次の時代にも残しておくべき事実を伝える。戦争という激動の時代を乗り越えた青い目の人形たちは物言わぬ語り部であり、人の愛情や葛藤を通じて「平和の天使」としてのメッセージを送り続けている。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.