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テレビ番組

NNNドキュメント’03 チンチン電車と女学生 2003・夏・ヒロシマ

番組ID
013357
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放送日時
2003年09月01日(月)00:25~01:20
時間(分)
48
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
広島テレビ放送(HTV)
製作者
広島テレビ放送(HTV)
制作社
広島テレビ放送(HTV)
出演者
スタッフ
撮影:日野知行、編集:道閑慎一、タイトル:金光由香、美術:田森孝仁、MIX:浜口崇、音響効果:田中政文、ディレクター:堀川惠子、プロデューサー:望月公正
概要
1945年8月の原爆投下時、広島の街を走る路面電車に乗務していたのは14歳から17歳の女学生だった。家政女学校に通いながら電車の運転を手伝い、給料をもらっていた彼女たち。生徒の7割が運転士や車掌として乗務したが、原爆で30人が死亡した。少女たちのその後を追い、58年間埋もれてきた秘話に光りを当てた。
受賞歴
日本民間放送連盟賞(第51回教養番組最優秀)、放送文化基金賞(第30回ドキュメンタリー番組賞)

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私は原爆を伝えたかった

戦後58年。被爆体験が風化する中、原爆を落とした側と落とされた側、それぞれの体験者たちは後世に何を伝えたいと考えているのか。関係者の貴重な証言や資料により、原爆投下を日米双方の視点からとらえ、彼らの思いに迫る。◆長崎に原爆を投下したB29パイロットのフレッド・オリビや、観測機の航空士レン・ゴドフレーにインタビュー。様々なトラブルに見舞われた原爆投下までをドキュメントする。積み重なったトラブルによって第1目標の小倉上空への到着が1時間遅れ、その間に厚くなった雲のため目視投下を断念、そして第2目標の長崎へ。その頃、長崎市職員の荒木正人さんはいつものように疎開事務に追われていた。原爆で父親を失い、戦後「長崎原爆戦災史」の編纂に携わった荒木さんの体験を通し、きのこ雲の下の真実を明らかにする。◆番組後半は「情報操作」をテーマに展開する。アメリカは原爆の威力や人体への影響を機密扱いにして、厳しい検閲や情報統制を行った。そのため、原爆の実相は日本人にさえ長く伝えられなかった。原爆投下後、最初に長崎に潜入取材を試みたジョージ・ウェラーの記事は、連合国軍最高司令官マッカーサーによって闇に葬られた。戦略爆撃調査団カメラマンのダニエル・マクガバンが原子野の人々を撮影したフィルムも、機密扱いとなって長く日の目を見なかった。その映像には、著作を通じて反核・平和を訴えた永井隆博士も登場する。永井博士も当時は原爆について自由に書くことが出来なかった。


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