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ラジオ番組

ドイツ兵俘虜による「第九」の演奏から100年 ~俘虜が残した宝物~

番組ID
R22879
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放送日時
2020年03月19日(木)21:52~22:51
時間(分)
60
ジャンル
music_note
音楽
放送局
RKB毎日放送
製作者
RKB毎日放送
制作社
RKB毎日放送
出演者
ナレーション:田中みずき
スタッフ
制作:津川洋二、構成:津川洋二、効果:塩塚実納、効果:兼田朋典
概要
ドイツ兵俘虜によるベートーヴェンの第九が日本で初めて演奏されたのは、1918年(大正7)6月1日、徳島県鳴門市の板東俘虜収容所の中だった。1年半後の1919年12月3日、今度は福岡県久留米市のドイツ兵俘虜によって、久留米高等女学校(現在の県立明善高等学校)の講堂で日本で初めて一般市民の前で第九の演奏が披露された。ドイツ兵俘虜は第一次世界大戦で日本が攻略した中国の青島から送られた人たちであり、板東と久留米の俘虜収容所にはそれぞれ1000人近くの俘虜がいた。その収容所の俘虜たちが作ったのが楽団であり、第九はその楽団によって演奏された。久留米市では昨年の12月、ドイツ兵俘虜による演奏から100年になるのを記念して第九の演奏会が開かれた。演奏は九州交響楽団、合唱は久留米第九を歌う会の皆さん。この時の演奏をバックに、久留米俘虜収容所と板東俘虜収容所の俘虜たちの生活や、俘虜たちが残した遺産(宝物)を探していく。

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