テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

radio
ラジオ番組

ラジオドラマ 蒼い海の記憶

番組ID
R02844
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2005年11月19日(土)20:00~20:59
時間(分)
59
ジャンル
recent_actors
ドラマ
放送局
MBSラジオ(毎日放送)
製作者
MBSラジオ(毎日放送)
制作社
MBSラジオ(毎日放送)
出演者
スタッフ
原作:柏木宏之、脚本:柏木宏之、演出:槙野拓実、制作:島修一、技術:田中貴久、技術:西嶋秀浩、技術:亀田悠一、監修:星島要平、効果:濱谷光太郎
概要
時は第二次世界大戦が始まろうとしている頃、海軍兵学校を卒業した藤崎優一は、極秘裏に開発された巨大戦艦「1号艦」の測距儀開発に携わった。後に『大和』と名付けられたその艦に実践調査のため乗艦することになり、いつ戦死してもいいという覚悟を決めた優一だったが、秘かな思いを寄せる幼なじみの葉子との別れだけが心残りだった。やがて大和は沖縄に向けて出撃。3300余人の命をのせて、アメリカ軍の総攻撃にさらされていく。◆第60回文化庁芸術祭参加ドラマ。作:柏木宏之。出演:村上かず、海部八千代、寺下貞信ほか。語り:古川圭子。

同じ年代の公開番組

ラジオアーカイブス あの日あの声 音でたどる日本の自画像 第1部 戦前・戦中編

80年目の放送記念日に向けてシリーズで放送された「ラジオアーカイブス・あの日あの声」。この日は二部構成で、ラジオが唯一の放送メディアだった戦前・戦中から敗戦直後の占領期を、放送の歩みをたどりながら振り返る。ゲストは昭和一桁生まれの作家・半藤一利さん、ラジオ史研究家・竹山昭子さん。◆第1部は戦前・戦中編。大正14年に始まったラジオ放送は、野球中継や演芸番組を通して人気を高めていく。戦時中の放送の実態や放送の持つ力も当時の録音を通して改めて考える。番組内で紹介されるのは、昭和天皇即位の大礼(1938年)、学生野球大会準決勝(1933年、中京商対明石中、延長25回)、エンタツ・アチャコの漫才・早慶戦(1935年)、生態放送・ブッポウソウの鳴き声(1935年)、「兵に告ぐ」(1936年、2・26事件の反乱兵への投降呼びかけ)、開戦の臨時ニュース(1941年)、フィリピン沖海戦の大本営発表(1944年)、爆音による敵機の聞き分け方(1944年)、玉音放送(1945年)。


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組
岐阜のでんしゃ 再生への1ノッチ

2005年3月31日、岐阜の路面電車が94年の歴史を閉じた。「街のシンボルが消えた」「廃止は残念」という意見の一方、「分かっていたこと」「仕方ない」との声も聞かれた。◆数十年にわたって企業努力を続けた名古屋鉄道だったが、沿線自治体は軌道敷への自動車乗り入れを黙認。電車の定時運行ができなかった。停留所の安全も確保されず、利用者は危機を強いられた。クルマ優先の行政が乗客の逸走を招き、赤字は年間17億円に。2003年、名鉄はついに路面電車事業からの撤退を表明した。◆その後、新会社が車両の運行に名乗りをあげ、沿線自治体が線路の管理を行うという条件で話が進んだが、沿線人口を多く抱える岐阜市が土壇場で断念。これが廃止への引き金となった。◆現在も線路が残っているため、まだ路面電車復活の可能性はある。実際、沿線企業が名鉄からの施設譲り受けに名乗りをあげている。しかし名鉄は「岐阜市からの働きかけがないと動かない」と交渉を拒否。対する岐阜市長は「民間同士で話し合うべき問題」とかみ合わない。◆欧米の多くの都市では、路面電車を進化させた交通機関・LRT(ライト・レール・トランジット)が活躍し、街の活性化に貢献している。日本でも、国土交通省がLRTの整備を支援する制度を2005年4月から始めたが、岐阜の路面電車を救済することはできなかった。◆専門家は「岐阜市の動き次第で、路面電車の再生は充分ありうる。そのためにはまず、市民が動かなければならない」と指摘する。街づくりの方向性を示すには、まず目の前にある路面電車の問題を解決することが必要だ。そのカギを握るのは、岐阜に暮らす人々である。◆番組では、市民、名鉄、岐阜市、国土交通省など、多方面への取材を織り交ぜて、岐阜の路面電車廃止の経緯、廃止後の現状を見つめる。そして岐阜の街づくり、地方都市の再生について考える。


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組