テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

―被爆80年英語ドキュメンタリー― Hiroshima: All the Days that Follow

番組ID
219873
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2025年08月04日(月)00:58~01:58
時間(分)
50
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
中国放送(RCC)
製作者
中国放送(RCC)
制作社
中国放送(RCC)
出演者
ナレーション:中根夕希
スタッフ
概要
2025年、広島は被爆から80年を迎えた。しかし、今もなお世界各地で紛争が絶えない。当時を知る被爆者の平均年齢は85歳を超え、彼らの言葉を後世に受け継ぐことの重要性は年々増している。広島の原爆の歴史を世界に伝えたいという思いから、中国放送はこれまで記録した被爆者の証言を英語に翻訳し、原爆の惨禍を伝える3部構成のドキュメンタリーを制作した。第1部は、原爆投下前、投下時、そして投下後の広島の様子を、第2部は原爆が人体に及ぼした影響や心の傷、残された家族の苦悩を、そして第3部では、原爆の悲惨さを伝える被爆者と、その想いを受け継ぐ若者の活動を伝える。番組は日本語と英語の2か国語放送するとともに、制作に至った背景や、英語化する際にどんなことに気をつけたのか、翻訳者とともに振り返る。◆主音声は英語、副音声は日本語。導入部は日本語のみ。

同じ年代の公開番組

被爆80年報道特別番組 彼女が世界に語る理由(英語字幕版)

2024年12月、ノルウェーのオスロで行われた日本被団協のノーベル平和賞授賞式。その式に招待された被爆者の小倉桂子さん(当時87歳)は、英語で直接世界の人に語り掛け、1人1人は小さな力でもそれがやがて大きな力になると訴えた。被団協に所属していない小倉さんがなぜオスロに招待されたのか、そしてどんな覚悟と想いでその場に立っていたのか、そこには彼女のこれまでの人生をかけて紡ぎ出した想いがあった。カメラはコロナ禍の2021年から5年間、小倉さんを追いかけた。小倉さんは年間約2000人と会い、1人1人と向き合い平和の大切さを伝え、各国のリーダーたちにも直接声を届けていた。しかし、その間もどんどん著名な被爆者が亡くなっていく。小倉さんは寂しさを抱え、時には弱音を吐きながらも活動していく。そして小倉さんの想いは、アメリカで被爆の実相を伝え継承を始めた日本人教師や、その授業により変化していくアメリカの大学生たちなど、確かに広がっていた。「最後の仕事」という言葉を使い、小さな体で行動する姿を通して、我々が受け取るべきバトンのその先を考える。日本語と英語の字幕あり◆英語タイトル“The Reason She Speaks to the World”


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
ザ・ノンフィクション 1995-2025放送30周年特別企画〔3〕 おじさん、ありがとう ~ショウとタクマと熱血和尚~

2025年10月、『ザ・ノンフィクション』は放送開始から30年を迎える。これを記念した特別企画として、名作・話題作として記憶に刻まれた番組と「その後」の物語を5週連続で届ける。◆第3弾は、2019年6月2日放送されたシリーズ歴代最多受賞作の熱血和尚の物語。愛知県の山あいにある小さな寺は、“平成の駆け込み寺”として非行や虐待、いじめなどで居場所のない子ども達を受け入れてきた。寺の主である熱血和尚・廣中さんは、時に叱り、時に抱きしめながら子ども達に寄り添い、心を通わせてきた。そんな廣中さんを子ども達は「おじさん」と呼び慕っていた。おじさんの元で、壮絶な思春期を過ごしたのがショウとタクマだ。バイク窃盗を繰り返したり、中学生ヤクザと呼ばれるほどの問題児だった。寺で過ごすうちに少しずつ落ち着きを取り戻していくが、ある日事件が起きる。一方、廣中さんの体はがんに侵され、余命僅かとなっていた。それでも最期まで子どもたちに手を差し伸べ続けた。そして放送から6年、寺ではおじさんの七回忌が行われた。そこにはかつておじさんに救われたタクマの姿もあった。寺で過ごした子どもたちのその後の物語。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
被爆80年報道特別番組 彼女が世界に語る理由

2024年12月、ノルウェーのオスロで行われた日本被団協のノーベル平和賞授賞式。その式に招待された被爆者の小倉桂子さん(当時87歳)は、英語で直接世界の人に語り掛け、1人1人は小さな力でもそれがやがて大きな力になると訴えた。被団協に所属していない小倉さんがなぜオスロに招待されたのか、そしてどんな覚悟と想いでその場に立っていたのか、そこには彼女のこれまでの人生をかけて紡ぎ出した想いがあった。カメラはコロナ禍の2021年から5年間、小倉さんを追いかけた。小倉さんは年間約2000人と会い、1人1人と向き合い平和の大切さを伝え、各国のリーダーたちにも直接声を届けていた。しかし、その間もどんどん著名な被爆者が亡くなっていく。小倉さんは寂しさを抱え、時には弱音を吐きながらも活動していく。そして小倉さんの想いは、アメリカで被爆の実相を伝え継承を始めた日本人教師や、その授業により変化していくアメリカの大学生たちなど、確かに広がっていた。「最後の仕事」という言葉を使い、小さな体で行動する姿を通して、我々が受け取るべきバトンのその先を考える。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
ザ・ノンフィクション 1995-2025放送30周年特別企画〔5〕 私のママが決めたこと あれから2年 母を思う旅

2025年10月、『ザ・ノンフィクション』は放送開始から30年を迎える。これを記念した特別企画として、名作・話題作として記憶に刻まれた番組と「その後」の物語を5週連続で届ける。◆第5弾は、2024年に放送し、放送直後から大きな反響を呼んだ「私のママが決めたこと 命と向き合った家族の記録」のその後の物語。マユミさん(44歳)は夫と2人の娘と4人家族。一見幸せそうに見えるこの家族は、計り知れない苦悩と向き合ってきた。2021年、マユミさんに子宮頸がんが見つかる。抗がん剤治療などを尽くしてきたものの、悪性度の高い希少がんは再発を繰り返し、瞬く間に全身に広がっていった。耐えがたい苦痛の中で、彼女は日本では認められていない、スイスでの“安楽死”という選択肢を考え始め、悩み抜いた末に、スイスへ渡ることを決断。マユミさんの決断を家族は戸惑いながらも、最終的には受け入れる。そしてスイスで迎えた人生最期の時、ベッドの横には夫、スマホにはテレビ電話でつないだ娘たちの顔があった。マユミさんがこの世を去って2年、娘たちは母が最期を迎えたスイスを訪ねる。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.