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テレビ番組

映像’24 労組と弾圧 関西生コン事件を考える

番組ID
219048
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放送日時
2024年04月01日(月)00:50~01:50
時間(分)
51
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
毎日放送(MBS)
製作者
毎日放送(MBS)
制作社
毎日放送(MBS)
出演者
ナレーター:西靖
スタッフ
撮影:奥村恭介、撮影助手:井上萌、編集:野口理恵、録音:西川友貴、音響効果:佐藤公彦、VTR:北村真智子、タイトル:木下実咲、宣伝:冨田潤、ディレクター:伊佐治整、プロデューサー:橋本佐与子
概要
「全日本建設運輸連帯労働組合 関西生コン支部」(通称「関生」)は、ミキサー車運転手による、組織横断の産業別労働組合である。粘り強い交渉やストライキも辞さない姿勢から、経営側にとって厳しい労組として知られている。時に激しい交渉姿勢が「反社会的である」と、権力の介入を度々招いた。その「関生」の組合員が、威力業務妨害等で次々と逮捕され長期間勾留された。逮捕容疑は団体交渉やストライキなど、刑法の適用外となる労働組合の正当な行為ばかりだった。警察・検察の取り調べで、保釈と引き換えに「組合脱退」に応じ、罪を認めた者も多かった。しかし一転して、否認・黙秘を貫いた組合員たちに無罪判決が出るようになる。これら一連の「関生事件」を報じたメディアは僅かだった。労働運動への関心が低下する今、「関生事件」とは何だったのか、労働組合の意義とは何かを考え直す。
受賞歴
ギャラクシー賞(第61回選奨)

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原爆投下直後に日本映画社のスタッフが撮影したフィルムが、ユネスコ「世界の記憶」にほかの写真などとともに登録申請されている。この記録映像を見つめ直す、情報番組「イマナマ!」のニュースシリーズ企画。◆「原子野をフィルムに収めて」(2024年5月23日放送)/日本映画社(日映)元ディレクター・相原秀二さん(故人)の証言をたどる。日映は日本の原爆調査団の補助機関として撮影を始めたが、占領により主導権は米国に移る。フィルムが米国側に没収されても取り戻せるよう「客観的・科学的に撮影すること」を徹底して撮影は続けられた。◆「校舎が『救護所に』…袋町小学校」(7月12日放送)/被爆直後の広島を訪れた日映のスタッフによって撮影された袋町救護病院の映像。実は袋町国民学校(現在の袋町小学校)の建物が臨時の救護所として使われていた。児童・職員はほぼ全滅したが、校舎は当時珍しかったコンクリート造りだったゆえ、かろうじて耐え、傷ついた人を受け入れた。建物には家族に消息を伝えたり、安否を尋ねる「伝言」も残されていた。卒業生3人が当時の記憶を語る。◆「語り始めた92歳の被爆者」(6月4日放送)/原爆投下から79年近くが経ち、初めて自らの体験を語り始めた才木幹夫さん(92歳)。当時は広島第一中学2年生で、その日は作業が休みだったため、自宅で被爆した。才木さんは一命をとりとめたが、建物疎開に駆り出された生徒ら353人は亡くなった。当時の記憶を封印し、仕事に邁進してきた才木さんだったが、ロシアのウクライナ侵攻を機に「証言者」になることを決意する。あの日の惨状と平和の大切さをどう伝えたらよいか、日々手探りを続けている。


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