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テレビ番組

被爆者と高校生がともに描く原爆の絵 「黒い雨」(英語字幕版)

番組ID
218717
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放送日時
2024年06月28日(金)16:50~19:00
時間(分)
9
ジャンル
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ドキュメンタリー
放送局
テレビ新広島(TSS)
製作者
テレビ新広島(TSS)
制作社
テレビ新広島(TSS)
出演者
ナレーション:石井百恵
スタッフ
ディレクター:石井百恵、プロデューサー:黒川陽央
概要
広島市立基町高等学校は、被爆体験者の証言を元に生徒が絵を描き、伝承する取り組みを続けている。2024年、「黒い雨」を浴びた被爆者の迫田勲さんが初参加した。原爆投下直後に降ったとされる「黒い雨」とは、放射性物質や火災による「すす」を含む雨のことで、この雨を浴びた多くの人たちに健康被害の症状が現れた。国は被爆直後の調査で援護対象区域に指定し、住民を被爆者と認定した。その後、調査や裁判の結果、認定区域は拡大され、2022年に迫田さんも新たに被爆者と認定された。迫田さんの絵を担当する2年生の持田杏樹さんは、黒い雨とは知らずにはしゃぐ子ども達の絵を依頼された。これまでのような暗く、恐ろしい絵とは異なる依頼だ。持田さんは悩みながらも、迫田さんの証言、原爆の恐ろしさを表現していく。(「TSSライク!」の特集コーナーの英語字幕版)

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原爆投下直後に日本映画社のスタッフが撮影したフィルムが、ユネスコ「世界の記憶」にほかの写真などとともに登録申請されている。この記録映像を見つめ直す、情報番組「イマナマ!」のニュースシリーズ企画。◆「原子野をフィルムに収めて」(2024年5月23日放送)/日本映画社(日映)元ディレクター・相原秀二さん(故人)の証言をたどる。日映は日本の原爆調査団の補助機関として撮影を始めたが、占領により主導権は米国に移る。フィルムが米国側に没収されても取り戻せるよう「客観的・科学的に撮影すること」を徹底して撮影は続けられた。◆「校舎が『救護所に』…袋町小学校」(7月12日放送)/被爆直後の広島を訪れた日映のスタッフによって撮影された袋町救護病院の映像。実は袋町国民学校(現在の袋町小学校)の建物が臨時の救護所として使われていた。児童・職員はほぼ全滅したが、校舎は当時珍しかったコンクリート造りだったゆえ、かろうじて耐え、傷ついた人を受け入れた。建物には家族に消息を伝えたり、安否を尋ねる「伝言」も残されていた。卒業生3人が当時の記憶を語る。◆「語り始めた92歳の被爆者」(6月4日放送)/原爆投下から79年近くが経ち、初めて自らの体験を語り始めた才木幹夫さん(92歳)。当時は広島第一中学2年生で、その日は作業が休みだったため、自宅で被爆した。才木さんは一命をとりとめたが、建物疎開に駆り出された生徒ら353人は亡くなった。当時の記憶を封印し、仕事に邁進してきた才木さんだったが、ロシアのウクライナ侵攻を機に「証言者」になることを決意する。あの日の惨状と平和の大切さをどう伝えたらよいか、日々手探りを続けている。


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