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ニュース映画

大毎ニュース 760 寺沢驚異の四連勝 別府毎日マラソン

番組ID
N02092
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上映日
1966年02月16日(水)
時間(秒)
179
カテゴリ
スポーツ
概要
1966年2月13日、第15回別府毎日マラソンは161人という日本マラソン史上最高の選手が参加して別府駅前をスタートした。前半は寺沢徹ら主力選手が互いに牽制しあってスローペースで進んだ。鶴崎の折返し点は斉藤(日本鋼弦)がトップ、続いて寺沢ら40人が1団となって通過。30キロ付近でトップの斉藤が遅れ、寺沢、重松森雄、君原健二、岡部宏和、広島日出国、佐々木精一郎、沢木啓祐ら7人の激しい競り合いが続く。35キロ地点、寺沢一気にスパート。必死に食い下がる佐々木を振り切り、史上初のマラソン4連勝は目の前。2時間14分35秒の大会新記録でゴールイン。2位岡部、3位君原、4位佐々木、6位までが2時間16分台を切って日本マラソン界の層の厚さを示した。

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大毎ニュース 763 特集 あいつぐ空の惨事 カナダ航空機・BOAC機

133人の命を奪った全日空事故から1ヶ月、またも空の惨事が繰り返された。しかも連続して2つの事故。1966年3月4日、濃霧注意報下の羽田空港で、香港から来たカナダ航空のDC‐8が着陸に失敗、炎上した。乗務員、乗客72人のうち死者64人、奇跡的に命を取り留めたのはわずかに8人、殆ど無傷で脱出した男性は生きていることが信じられないと語る。この夜、カナダ航空は創立以来の大事故に混乱を起こし、その間、遺族は絶望と怒りに震えていた。事件当夜、DC‐8は高度を低くとり、海上の進入灯に脚をひっかけ、滑走路端の防波堤に激突。機体は1キロ四方に散乱、濃霧の中で着陸しようとしたパイロットのミスという説が強いが、空港の計器着陸装置が整備中で使えなかったという事実も明らかになった。そして空港再開からわずか7時間後、今度は香港に向かったBOACのボーイング707が、富士山上空で空中分解を起こし、2合目の雑木林に墜落した。乗員乗客124人は全員死亡、自衛隊員ら2500人が出動して遺体の収拾にあたった。タンカに染み付いた血が、墜落当時の激しい衝撃をもの語る。犠牲者のうち75人はアメリカの団体客で、初めての日本見物が死出の旅路となった。相次ぐ空の惨事に、カナダ航空からフィリップス副社長が、ロンドンからガスリーBOAC会長が慌ただしく来日した。新鋭ジェット機の連続事故は航空界に再検討を迫っている。わずか1ヶ月に3度の大きな事故を起した日本の空、心から乗客の安全を祈らずにはいられない。


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