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ニュース映画

大毎ニュース 684 コレラ封じこめ作戦

番組ID
N01858
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
上映日
1964年09月02日(水)
時間(秒)
263
カテゴリ
社会
概要
千葉県の習志野病院で死亡した男性は8月25日コレラと判明、大騒ぎとなった。発病した旅館一帯は立入禁止。恐怖におののく市民たちは予防注射に長い列を作った。翌26日には同じ旅館に泊まっていた人も保菌者と判り、コレラ騒ぎは都内にも飛火した。二人の歩いたコースを追ってしらみつぶしの消毒。東京、千葉、神奈川、埼玉など広範囲にわたって非常体制がしかれ、習志野のコレラ対策本部には医者、保健婦が総動員されて6日間緊張の連続。付近の住民1万人の検便に駆け回り全力をあげての封じ込めである。幸い二人を除いては陰性と分かりコレラ騒動は危機を脱した。(カメラ・パトロール)

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大毎ニュース 674 特集 新潟地震

1964年6月16日午後1時2分、東日本を襲った大地震は震源地に近い新潟市で震度5を記録。5日前まで国体で賑わっていた新潟市は5分間のうちに崩れ落ちた。堤防は決壊し逆流した信濃川はゼロメートル地帯に浸水、昭和石油のタンクも燃え上がった。市民は着の身着のままで逃げるのが精一杯、弱い地盤の上にたつ新潟市は全市の3分の1が傾き、砂上都市の脆さを見せつけた。家を追われ橋のたもとに野宿する人々に、水も電気もない夕闇が忍び寄る。かろうじて避難所にたどり着いた人々は、余震におびえながら恐怖の一夜を過ごした。一夜明けて火は勢いを増し12基の石油タンクが次々と引火爆発、40万キロリットルもの石油が一度に炎上した。1台しかない市の化学消防車では手のつけようもなく、隣の新工場のタンクに燃え移った。化学消火剤の応援を求められた立川基地では日米合同で空から消火弾の投下作戦を開始。東京などからかけつけた化学消防隊も必死の消火作業にあたった。3日目に入ってようやく本格的な復旧作業が始まった。自衛隊は6千人を越す隊員を市内に動員、信濃川作戦と名付け、人海戦術で土のう作りを展開。一方土砂に埋まった道路や地割れの補修も急ピッチに進み、市民も復旧に立ち上がった。懸念されていた伝染病の流行もなく、水道の破壊された全市に渡って給水班が出動、水に悩む市民は生気を取り戻した。各地からの救援物資も続々と市内に送り込まれて来た。今度の災害を重視した政府は、福田篤泰防衛庁長官、河野一郎非常災害対策本部長らを現地に派遣、復旧に本腰を入れている。21日には池田勇人首相も自ら新潟に乗り込んだ。被害のひどかった信濃川河口付近では船上から生々しい地震の爪跡を視察、復旧にあたる市民や自衛隊員に激励をおくった。街角では早くも店が開き、物価の値上がりもなく、落ち着いた表情がうかがわれる。完全復旧には5年かかると言われる被災地・新潟は、こうして復興への第一歩を踏み出した。


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