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ニュース映画

大毎ニュース 505 大毎・大洋に打ち勝つ

番組ID
N01164
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上映日
1961年03月29日(水)
時間(秒)
104
カテゴリ
スポーツ
概要
プロ野球オープン戦の東京第一戦は、新しく宇野光雄監督を迎えて陣容を建て直した大毎オリオンズと昨年の覇者・大洋ホエールズの対戦で始まった。大洋が1回表に西田亨投手から桑田武選手のホームランで2点を先取すれば、大毎は新人・大崎隆雄投手を攻めて4回と6回に1点ずつ入れ同点にした。8回表に大洋が再び2点リードすれば、大毎はその裏に山内和弘選手のホームランで同点に追いつき、ついに延長戦へ。10回裏、大毎は二死一塁から山内選手のサヨナラ三塁打で大洋を降した。

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この年ソ連はガガーリン少佐をのせた有人宇宙船を打ち上げ、人類の歴史に輝かしい1ページを開いた。1ヶ月おくれて米国はシェパード中佐が弾道飛行に成功。これを背景にウィーンで1年ぶりに東西首脳会談が再開されたが、緊張緩和の期待は裏切られ、東西ベルリンの境界線は封鎖されて国際情勢は日増しに悪化した。更にソ連が50メガトン級を含む大気圏内の核実験を再開すれば、米国も地下核実験を行い、世界は再び死の灰の恐怖にさらされた。韓国では軍部のクーデターで反共軍事体制が固まり、独立したコンゴではツォンベ一派がルムンバ首相殺害事件を起こして、国連の介入を招いた。またハマーショルド氏の墜落死、ユダヤ人虐殺のアイヒマンに絞首刑の判決が下った。こうした国際危機を背景に、日本では実力者を集めた協力内閣が誕生。池田首相の外交政策はケネディ大統領と意見を交換して日米対等のムードを打ち出した。赤いセールスマンと仇名されたミコヤン氏や韓国の朴議長の来日、東南アジア経済協力の旅など外交の多い年であった。天災では、年の始めに日本海側を襲った大雪は75年来の最高記録。長野県飯田地方に降った集中豪雨は325ミリと21年ぶりに記録更新して生々しい爪跡を残し、第二室戸台風は風速74.8メートルで気象庁始まって以来の記録となった。炭鉱災害もあいつぎ福岡県の上清炭鉱では71人と戦後最大の犠牲者を出した。また今年はダンプカーの事故が続き「走る凶器」と呼ばれるなど不名誉の年となった。犯罪も嶋中邸を襲った少年をはじめとして、不発に終った旧軍人のクーデター、大阪釜ヶ崎の暴動、赤ちゃん誘拐事件、武州鉄道の汚職事件が続いた。また全員無罪を叫び続けていた松川事件の被告たちは12年ぶりに無罪の判決をうけた。医学界では医師のストライキ、小児マヒの大流行はカナダやソ連から生ワクチンを輸入してしのぎ、RHマイナス型の子供の死亡事故は血液供給制度の検討を促し、愛の献血運動が始まった。経済成長のムードに包まれた日本の経済は、秋風とともに国際収支の赤信号、株価の大暴落となってあらわれ、物価は軒並みはねあがって所得倍増とは反対に消費者にとっては苦しい年となった。


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