テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

videocam
ニュース映画

毎日世界ニュース 263 進退両難 日ソ交渉

番組ID
N00156
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
上映日
1956年09月05日(水)
時間(秒)
315
カテゴリ
政治・経済
概要
「南千島(歯舞、色丹、国後、択捉の4島)をソ連に譲るようなことがあれば、アメリカは沖縄を領有する」というダレス米国務長官の一言は青天の霹靂、政界に大きな波紋を投じた。衆議院外務委員会では野党がするどく政府を追及、もともと二つに割れていた自由民主党は、主流派、反主流派と、それぞれしきりに会合を開き、日ソ交渉をめぐって与党内部の対立は益々激しくなって来た。この中で河野一郎農相は軽井沢に鳩山一郎首相を訪問、首相はみずからモスクワ行きの決意を固め、山を後に東京へ帰った。千島は、明治8年(1875年)千島・樺太の交換、日露戦争におけるポーツマス条約、第2次世界大戦のヤルタ協定等で帰属を異にし、昭和26年(1951年)対日講和条約の受諾により日本はその放棄を明らかにしたのである。1955年6月のロンドン交渉に次ぎ、モスクワ交渉も領土問題でついに行き詰まり、重光葵全権は空しく羽田空港に帰って来た。こうして、政府は日ソ交渉に最後の断を下すことになったが、鳩山内閣はかつてない最大の危機に直面している。

同じ年代の公開番組

毎日世界ニュース 277 メルボルンオリンピックニュース 日本選手団善戦

前半不振を伝えられた日本選手団も、後半水上、体操など得意の種目にそれぞれ入賞、日章旗をいくたびかメルボルンの空に掲げた。大会9日目、男子400mリレー決勝、アメリカ(ベーカー、キング、マーチン、モロー)が39秒5の世界新記録で優勝。マラソンはフランスのミムンが2時間25分9秒で優勝。2位はユーゴのミハリック、3位はフィンランドのカルボーネン。川島義明選手は足の痛みをこらえ、各国の強豪を押さえて5位(2時間29分19秒)に入賞。女子飛板飛び込みで日本の津谷鹿乃子は8位にとどまった。10日目、200mバタフライ決勝、石本隆はアメリカのヨージック(2分19秒3で1着)と息詰まるような熱戦の末第2位(2分23秒8)。水上陣初の日章旗を揚げた。13日目、200m平泳ぎ決勝、期待の古川勝が王者の貫禄を示して2分34秒7のオリンピック新記録で堂々優勝、吉村昌弘も2分36秒7で2位に入賞する殊勲をたてた。14日目、1500m自由形決勝は山中毅、オーストラリアのローズ、アメリカのグリーン、3選手三つ巴の熱戦を展開、山中最後の追込み物凄くローズに迫ったがついに及ばず2位(18分0秒3=日本新記録)にとどまった。ローズは17分58秒9のオリンピック新記録で1着。体操でも小野喬が鉄棒で優勝。竹本正男ら各選手(久保田正躬、相原信行、塚脇伸作、河野昭)もそれぞれ妙技をふるい、団体で2位に入賞した。日本選手団は、各競技を通じて19本の日の丸を揚げ、各国選手と4年後ローマ大会での再開を約し友情の絆を堅くした。こうして2週間にわたる民族の祭典、メルボルン・オリンピック大会の閉幕を迎えたのである。◆【参考】メルボルン大会のメダル獲得数(金・銀・銅)、ソビエト(37・29・30)、アメリカ(32・25・17)、オーストラリア(13・8・14)、日本(10位)(4・10・5)。〔注〕ボクシング各級3位と夏の馬術(スウェーデンのストックホルムで1956年6月に開催、毎日世界ニュース252を参照)を含まず。


videocamニュース映画
毎日世界ニュース 278 世界と日本 1956年の回顧

1956年(昭和31年)のニュース総集編。秋田県能代市をはじめとした各地の大火。新潟県弥彦神社では、初参りの混雑のため124人の死亡者を出した。台風が西日本に猛威を振るい、九州有明海の干拓地は惨澹たる有様。関西本線では山崩れのため客車が川に転落、20名死亡の惨事となった。40名の死亡者を出した参宮線の列車衝突事件は、国鉄の運営に厳しい批判を巻き起こした。公金9千万円を横領した農林省事務官と、茨城県農業共済組合の会長の汚職事件。5月、参議院では教育二法案をめぐって乱闘、ついに本会議場に警官が入るという事態となった。明るい話題では、中国の名優・梅蘭芳やイタリア歌劇団の来日、日本登山隊のマナスル登頂成功。第16回メルボルンオリンピックでは、笹原正三選手がレスリング・フェザー級で優勝、マラソンの川島義明選手は第5位入賞、鉄棒で優勝した小野喬選手、平泳ぎの古川勝選手の優勝など、日本選手は健闘を示した。この年も基地問題は続き、沖縄ではプライス勧告に反対運動が激化。砂川基地では米軍基地拡張の土地測量に反対する地元民が警官隊と正面衝突し、約900名の負傷者を出すに至って政府も測量打ち切りを余儀なくされた。アメリカはビキニ上空で初めて水爆の空中投下を実験、成功させて実用化への道をつけた。一方で、平和と繁栄のスローガンを掲げてアイゼンハワー大統領が再選。ジュネーブ会議による世界の雪解けも、エジプトのスエズ運河国有化宣言によって再び悪化、英仏両国の軍事行動につながった。一方、ポーランドに発した反ソ連の動きはハンガリーでは激しい暴動となり、避難民が祖国を後にオーストリアに亡命してゆく。中国では、毛沢東首席指導のもとに国内の建設を着々と進め、周恩来首相がインドを訪れ、ネール首相とアジアの平和について語り合った。10月19日モスクワのクレムリン宮殿で、ブルガーニン、鳩山両首相が日ソ国交回復の共同宣言に調印。12月12日批准書を交換した。国連安全保障理事会では、12月12日午後0時11分(日本時間13日午前2時11分)、日本の国連加盟が全会一致で可決され、重光葵外相は国連総会出席のためニューヨークに向かった。12月14日の自民党大会では、岸信介、石橋湛山の決選投票が行われ、7票差で石橋湛山が新総裁となった。


videocamニュース映画